日本には“太地”(TAIJI)といわれる美しい入り江があり、地元の漁師がイルカ漁を営んでいることで知られる。このイルカ漁を撮影したドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」のルイ・シホヨス監督は「2000年に海洋哺乳動物の専門家と参加したある座談会で、このうわさを最初に耳にした。リック・オバリーもそこにいた。彼に会う前からオバリーがテレビや映画化された『Flipper(邦題:わんぱくフリッパー)』の影の立役者で、世界で最も権威あるイルカの音声学者でもあり、イルカ漁という業界に大胆にも公然と抗議していることを知っていた。その座談会でオバリーは重要な演説者の一人だったが、彼の登壇まであと1分というところで、その座談会の主催者『シー・ワールド』が彼の発言を禁止した。オバリーが突然話す権利を奪われたことに、私は非常に興味を抱き、自らオバリーに近づいて尋ねた。オバリーは私に、彼が発表しようとしていた演説は日本の秘密の入り江に関する内容で、そこには世界各地からイルカを売買する違法な商人が集まり、各地のイルカ館やイルカ公園のために最もいい『商品』を選んでいる、と話した。彼はさらに、選ばれなかったイルカのほとんどは虐殺され、その肉が学校の給食に出ている、と教えてくれた。彼の話を聞いて、私は自分の耳を疑った。私たちの身近な文明社会でまさかこんなイルカの殺戮を行っている場所があるなんてと。そしてオバリーは、この日本の入り江にある小さな町‘太地(TAIJI)’を見てみないかとに誘ってきた」と振り返る。
“太地(TAIJI)”の地形は天然の堡塁よりも優れ、大自然が造り出した奇観に完全に守られていた。“太地(TAIJI)”のある場所は三面とも険しい断崖絶壁に囲まれ、唯一一面から出入りが可能だったが、人工的な防御がなされていた。高く尖った鉄錐がたくさんついた門や、とげのついた金網やカミソリのような鋭い刃をもった柵でこの一面は張り巡らされ、とても小さな入り口が2つあるが、ここも警備員と犬が厳重な警備を敷いていたという。リック・オバリーとの危険に満ちた“太地(TAIJI)”の旅についてシホヨス監督は、「何度も行ったことがあるオバリーは非常に慣れたもので、私は彼についてイルカ漁の行われる光景を何度も目にし、震撼した。戻ってから、私は‘太地(TAIJI)’の役所やイルカ漁の組合と連絡を取り、イルカ漁を撮影しドキュメンタリーを制作させてもらうため、合法的な撮影許可を取得しようと決意した。ところがすぐに自分がいかに単純だったか思い知らされた。次に‘太地(TAIJI)’を訪れた時には、自分が追跡されているのに気付いた。私が姿を現すと、24時間警察が厳重に監視した。それで、この町は私に全く協力する気がないのだとわかった。それまで、彼らはイルカ漁を通じて莫大な富を手に入れていた。すでに記者が繰り返す報道で、彼らがこの産業から得る富は激減していたのだった。
厳重に保護された、地形の険しい秘密の入り江に入ってその実体を撮影するのは、普通の人には想像できないような困難と危険を極めた。ルイ・シホヨス監督は「私はカナダの女性チャンピオン・ダイバー、マンデイー・ロー・クラック・シャンクとフリーダイバーコーチのカーク・クラックに、水中にこっそりカメラとレコーダーを設置してもらえないか頼んだ。クラックはかつてフリーダイビングで8回優勝しているし、シャンクは酸素ボンベなしで水中に6分半潜ることができる。彼らに要求されるのは、深さ300フィートのところまで潜り、酸素ボンベを使わずに再び水面まで戻ってくること。それから、以前私の撮影アシスタントだった男が今は特殊効果を演出する会社の模型制作部門のリーダーになっていた。彼の協力で、私たちは高画質カメラを隠せる石をつくった。あと、かつてカナダ空軍の技師だったという電気学の専門家が私たちに高速の馬力システムを提供してくれ、カメラを最大限回し続けることができた。他にも彼は無人稼動のラジコン飛行機の模型を制作してくれ、アンテナと撮影に役立った。模型の下には遠隔操作ができる高画質カメラを搭載した。私のプライベートな友人がたくさん積極的に参加してくれ、毎晩、私たちは、完全武装し、迷彩服を着て顔にも迷彩を塗って暗闇の中、‘太地(TAIJI)’で秘密の作業を行った。私たちは警察や警備員に見つからないよう、軍事用にしか使われない赤外線カメラを使い、私たちが必要とする画像を撮影した。この映画の撮影では特殊なスタッフが動員され、ほとんどの仕事は真夜中に行われた。しかも私たちにとって最大の難関は、常に警察の視線をかいくぐらなければならないことだった。地元の人にシッポを捕まれて、警察に逮捕されないよう常に気を配らなければならなかった」と当時の緊迫した状況を振り返る。
「人民網日本語版」2010年7月8日