鳩山由紀夫前首相が宰相の印を置いて去り、永田町には菅直人新首相の大きな旗が翻った。日本の首相は走馬燈のように過去4年間で5人も交代した。現代の大国においてこれは異例の事態だ。頻繁な首相交代は、たとえそれに慣れたとしても、やはり嘆かわしいことだ。その原因は複雑であり一言では言い当てられないが、(1)日本の選挙制度と関係がある(2)日本社会の伝統文化に起因(3)歴代首相の個人的原因----の3点を指摘することができる。「環球了望」誌が伝えた。(文:日本問題研究学者・任景国)
日本は西欧型民主主義を移植した東洋の国だが、日本の民主制度は民族文化と結合した後、単純な数のゲームに変化してしまった。党として選挙で多数議席を占めるべく奮闘しなければならないだけでなく、同じ党内でも多数派閥を組織できた者が決定権を握る。日本の法律は、選挙で多数議席を獲得した政党が与党となり、与党の党首が当然のように首相に選出されるようになっているからだ。さらに補足すると、日本の首相は普通選挙ではなく間接選挙で選ばれる。国民は首相の生殺与奪の権を直接握っているわけではいないのだ。このため日本の多くの大物政治屋は数のゲームにかまけ、その道に通じ、たとえ党内でもグループや派閥を作って利益を図ることに熱を上げる。影響力の大きな「派閥」は全てを左右し、自在に操ることができる。このため日本の政治は典型的な「密室政治」を形作った。これは政治学で「派閥政治」とも言う。野党に転落した自民党は、こうした政治手法の代表格だ。このような体制のおかげで自民党の政治支配は数十年間持続したのだが、明治以降、今日までの93代の首相のうちどれほど多くが短期間にその座を降りたかを見れば、われわれの指摘していることは一目瞭然だ。彼らの大部分は党内派閥を制御できず、派閥に睨みを利かせられなかったために、最終的に退任に追い込まれたのだ。
2つめの大きな原因として、文化的要因について述べたい。頻繁な首相交代は日本の社会・伝統文化と不可分の関係にある。日本人の集団意識については前に少し触れた。これは日本文化の第1の特徴だ。第2の特徴は「信義の文化」。日本は「信義誠実の原則」を「信義則」と称し、至高の行為規範としている。日本では信義に背くことは最大の「恥」と見なされ、組織的には断じて許されないし、社会的にも容赦されない。第3の特徴は西洋の「罪の文化」とは異なる「恥の文化」だ。社会および組織の全てにおいて受容されているこの行為規範は、「罪の文化」の下で形成された法律ではないが、日本では絶対に背くことのできないものであり、これに背くことは最大の恥と見なされる。そして恥は自分一人ではなく、その家族や組織にまで降りかかる。このため日本では「恥を知るは勇に近し」という考えが広く浸透している。
鳩山由紀夫氏と民主党は自民党との戦いで「金権政治の打倒」をスローガンに掲げた。だが鳩山氏は首相の座についた途端、金銭スキャンダルを暴露された。その後、米軍普天間飛行場の移転問題に関する交渉で失敗した上、「5月末までに県外移転で合意」との約束にも背いた。これによって鳩山氏は民主党と共に恥を蒙り、辞任を選択した。やむを得ないと同時に、「恥を知るは勇に近し」の結果でもあった。
頻繁な首相交代の3つめの大きな原因として、個人的要因を挙げたい。日本ではどんな人でも「叩けば埃が出る」という慣用句がある。中国の「金無足赤」(完全な純金はないし、完全な人もいない)と相通じる言葉だ。日本の政治家は単なる議員や「2番手」以下の役職に就くのなら大したことはないが、トップの座に就いた途端に批判の矢面に立たされる。与党のスキャンダルは「金銭スキャンダル」であれ「女性スキャンダル」であれ、何ら新しい手段ではない。ただ日本の要人たちはなにか問題が起きると、自分の秘書をスケープゴートにすることがよくある。日本のことわざのように「赤いは酒の咎」なのだ。「欧米の大統領の回りには弁護士達がいるが、日本の政治家の回りには秘書達がいる。秘書達は法律がわからないため、すべてが秘書の犯した間違いにされるのも無理はない」との冗談もある。
鳩山氏が去り、菅直人氏が永田町入りした。菅氏の旗はどれほどの間掲げられるだろうか。就任当日にはもう、少なからぬメディアが菅氏も「短命首相」に終わると指摘した。実際のところ、私たちは菅氏にばかり視線を向けるべきではない。彼個人の問題でも民主党一党の問題でもなく、日本の政体自体がこうなっているのだから。
「人民網日本語版」2010年7月20日