林少華:片山恭一の純愛小説は生、死、魂の探求

林少華:片山恭一の純愛小説は生、死、魂の探求。 片山氏をはじめとする日本の戦後の作家たちは、従来の日常生活や男女の細々としたことを熱心に描写していた私小説を超え、大きなアングルから、日本ひいては世界の大きな出来事に目を向けるようになっている…

タグ: 片山恭一 村上春樹 純愛 ベストセラー 翻訳者

発信時間: 2010-10-15 15:56:28 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

ファンのためにサインする林少華氏

従来の私小説を超えた片山氏

「純愛作家」といわれる片山氏だが、林氏は、片山氏は「愛を叫ぶ」ことだけにとどまらず、生や死、魂を探求していると話す。『世界の中心で、愛を叫ぶ』では、主人公の避けることのできない死をテーマに、死が間近に迫ってくる際の若者の感情や考え方、恋人を亡くした男性がいかにその衝撃を乗り越え、彼女の死に新しい意味を与えるかなどが描写されている。また短編小説『雨の日のイルカたち』では、米国で発生した同時多発テロや湾岸戦争に対して疑問を呈し、批判を行っている。

片山氏をはじめとする日本の戦後の作家たちは、従来の日常生活や男女の細々としたことを熱心に描写していた私小説を超え、大きなアングルから、日本ひいては世界の大きな出来事に目を向けるようになっている。そして小説を生命や宇宙の中心に導く媒体として人の存在を捜し求め、生や死、魂、時間、空間との対話を重視しているのも、今の純愛小説の新しい流れだ。

片山恭一と村上春樹では異なる魂

講演の中で片山氏は、数回にわたって魂ということに触れていた。村上氏も去年のエルサレム賞受賞スピーチで「私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、『システム』の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、『システム』に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています」と、魂という言葉を使っている。

両者とも魂を語っているが、「村上氏にとっての魂は、個人の主体性を指し、その対立面はシステムあるいは「壁」であるため政治的な意味が強い。これに対して片山氏にとっての魂は根源的な意味であり、それに相対するのは肉体なことから宗教的な意味がより強く、愛情や生命の究極の意味への探求を重視している」と、村上氏と片山氏の視点はそれぞれ異なると林氏は説明する。

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2010年10月15日

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