今は中央戯劇学院で演技の勉強をしているそうですが、いつから?留学生活はいかがですか?
2009年の夏から。最近痛感するのは、やっぱり言葉の壁です。これは自分が今まで日本で生活していると、気づくことのできないことで・・・ただ自分の夢を叶えることでさえ、すごく難しい事なのに、更に言葉の壁があるというのは、自分が中国に来る前に想像していたものより、まったく比べものにならない程、厳しいことだと、痛感しています。
中国に来る前まで、自分なりに、すごく悩んだんです。就活していたんですが、「これでいいんかな」って。2008年の夏の大会で武術は引退したんですが、それまで北京オリンピック目指してやっていて、07年のジェット・リーと会ったときの世界大会で銅メダルを獲って、北京オリンピックの出場枠を手にしたんですよ。でも、ひざの怪我とかあって最終選考で落ちちゃったんです。それで北京五輪には行けなくて、引退しました。その間の1年間はもうほんと病んでました。死ぬんちゃうかっていうくらい。
でも、そういった経験を乗り越えても、まだ険しい道が目の前にあります。でも、持ち前の気持ちで負けない気合を持って頑張ろうと思います。
何がきっかけで中国に来てみようと?
やっぱりずっとちっちゃいときから中国と関わってきて、中国武術が自分に教えてくれたことってあるんですよ。あまり言葉ではうまくいえないんですけど。それが自分のバイブルみたいになっていて・・・。上を目指していく楽しさもそうだし、人前に出て自分を表現して誰かが感動してくれたり。そういうものを中国武術が教えてくれました。
俳優になりたいというのはそういうところから出てきていて・・・。やっぱり自分、中国武術ができるし、中国が好きやから、日本で中国武術を広めたいっていうのがあるんです、自分の中で。中国では中国武術って有名じゃないですか。でも日本ではそんなに有名じゃないんですよ。中国武術っていわれたら「アチョー!」とかっていうイメージあるじゃないですか(笑)。そういうのもそうですけど、もうちょっと違うところも知ってもらいたい。自分が中国武術とか中国からもらったものがあるんですよ、いっぱい。それをもっとみんなに伝えていきたいですね。もっと大きい世界で、中国武術を見てもらいたいです。
今充実してますか?
本当に充実しています、ほんとに。武術やめてからの1年間は本当にダメなやつでしたよ。なにやってんねんっていう感じで。毎日毎日遊びまわって・・・。・・・中国に来て本当によかったですよ。
松浦さんにとっては中国が人生を変えるきっかけになったんですね。
本当にそうですよ。中国武術もそうだし。ほんとに自分をつくってくれたんじゃないかと思います、たまに。
じゃあ、この2年は演技の勉強をしながら、映画や舞台に出演するチャンスを待つわけですね。
この2年の間になんとか道をつくらないと、と思います。2年終わってまたポーンとなったらやばいですからね(笑)。
北京の胡同(フートン)と呼ばれる路地裏にノスタルジーを感じさせるショップが軒を連ねる南鑼鼓巷。週末には若者や外国人でにぎわうその一角に、松浦さんが通う中国戯劇学院がある。取材当日、南門で待っていると人ごみの中から松浦さんが現れた。初対面だったが(前もって写真は見ていたが)、一目で「あの人だ」とわかった。ありきたりの表現になるが、人とは違う雰囲気(オーラ?)をかもし出していた・・・とでもいおうか。
いつか、人の“ぎょうさん”行き交う南鑼鼓巷で、中国の若者たちから「あ、あの人・・・」と振り返られる日が来るのだろう。どこか応援したくなるような、素直で言葉数の少ない大阪の青年だった 。(人民網日本語版記者 小月)
プチアンケート
・あなたの出身地は?
大阪府
・中国滞在歴
1年
・一番好きな中華料理は?
火鍋
・中国で一番好きな都市は?
北京
・中国にあって日本にないものを1つ挙げてください。
あるなしで言える物は難しいです。ただ僕が中国に来て感じる事は、日本よりも、ものすごく活力に溢れた国だと思います。
・中国を漢字一文字で表すと?
「大」
■ 大会出場歴
1997年 なみはや国体武術太極拳・少年男子長拳の部で第4位
2004年 JOCジュニアオリンピックカップ 男子南刀で優勝
2005年 南拳日本代表に選出
2006、2007、2008年 全日本武術太極拳競技大会 男子南拳、南刀で優勝
2006、2007年 全日本武術太極拳選手権大会 男子南拳、南棍で優勝
2007年 世界武術選手権大会 男子南拳で銅メダル獲得
2007、2008年 大阪府体育功労賞受賞
■ 出演作品
映画「譲拳作証」 監督:張偉東(チャン・ウェイドン) 日本人武術家役
舞台「倩女幽魂(チャイニーズ・ゴースト・ストーリー)」
監督:吉岡真衣子 寧采臣役(主演)
「人民網日本語版」より