アジア最大級の旗艦店「上海正大広場店」
ユニクロの知的資本
ユニクロが日本で大きな成功を収めたのは、柳井氏のイノベーションと起業家精神があったからだと船橋氏は言う。
1984年に当時35歳だった柳井氏は、父親が経営する衣料品店を継いで広島市に最初のユニクロをオープンした。そして対面接客という従来のやり方を変え、スーパーマーケット方式の販売をスタート。この新しい販売方法は地元の話題になり、開店初日は朝6時から長蛇の列が出来た。
その後、数年にわたたる困難な経営を経て、ユニクロは次第に成長するが、その中でいくつかの不合理な点も明らかになる。当時メーカーの力は強く、品質も価格も自分たちでは決められず、メーカーから商品を押しつけられることがよくあった。それに衣料品店も仕入れた商品を売っているだけで、消費者のニーズに目を向けることなく、販売の仕方も工夫をしない。できることは、値下げして売ることばかりという現象が普通だった。
そのなかで、柳井氏はビジネスモデルの革新を決めた。つまり製造から販売までを一括し、素材の調達や企画、開発、製造、物流、販売、在庫管理、店舗企画などを一つの流れとしてとらえ、サプライチェーン全体の無駄やロスを最小限にするというものだ。
またユニクロの成功を支えているのが人材育成で、これまでに外部からの採用や自社での育成などにより、多くの人材を蓄えてきた。幹部やスタッフを選ぶ場合には徹底した実力主義や効率主義を重視し、店頭スタッフを含めた全員に経営者意識を持たせる「全員経営」の哲学を重視している。また「幹部育成プログラム」を設けて幹部候補や経営の人材を育成。こうした人材は今、社内の様々なポジションで活躍しており、奇跡の創造に自らの力を尽くしている。
中国ではこれからが勝負
中国で幅広く展開しているユニクロは、100店舗のオープンを目指している。しかし船橋氏はまだユニクロの中国での経営ケースを研究範囲には入れていない。ユニクロが今後、中国で日本のような奇跡を生むかどうかについては、正直なところまだまだ分からないと船橋氏は話す。
「ユニクロは小さな町からスタートし、この15年で非常に伸びた。ユニクロは中国を含め世界に進出するという経営ビジョンを掲げているが、それが成功するかどうかはこれからが勝負だ」