張学良(1901~2001年、関東軍により爆殺された張作霖の長男)は晩年、歴史を口述した。それは堂々たるもので、米国の軍事上の強大さ、英国式の民主、イタリア・ファッショの台頭、北欧各国の福祉など、多くの国に言及しているが、最も多く語ったのはやはり日本だった。日本に対する見方は、歴史を回顧する際に発した重苦しさに満ちており、現実に対処する際に中日友好を切望するために生まれた心配に溢れている。
政治の極端は恐るべき
張学良の目には、日本は政治が極端な国だった。国民の天皇に対する崇拝は極端であり、一人が万民を統御する。軍部の国家機構における地位は極端であり、その他の機関を凌駕する。軍人が国家政治を制御する手段は極端であり、暗殺が日常茶飯事である。国民を訓練する方法は極端であり、「日本には庶民はおらず、すべてが軍人である」。こうした感性的な見方は実際、一定の法的原理の側面ら認められている。
「法律に基づけば、天皇は陸海空軍の大元帥である」、「そのときの天皇、彼には力量がある」。張学良が口にする法律とは、1889年に制定した明治憲法を指す。明治憲法は根本となる大法という形で近代日本の天皇を中心とする専制政体を肯定し、強固なものにした。憲法は、「大日本帝国は万世一系の天皇がこれを統治す」、「天皇は神聖で不可侵である」、「統治権を総攬する」、「陸海軍を統帥する」と規定している。天皇の権威は絶対的な至上性を備えており、権力はいかなる制限をも受けず、立法、司法、行政、軍事、外交など含まぬものはない。そのため、張学良は「そのときの天皇、彼には力量がある」、力量は大にしてすべての権力の独占に至った、と語っている。
「天皇制は一種の機構であり、絶対主義的の国家機構である」。絶対的な国家機構は必然的に国家政治の極端化をもたらす。明治憲法を象徴に、近代日本の極端な政治構造と極端な倫理構造によって体制化と法制化は完了し、その後の日本が様々な極端に向かうための制度上の基礎が築かれた。
張学良が口述した歴史の中で、天皇に言及した言葉はこのようにわずかに過ぎないが、この言葉は彼の日本に対する見方の核心的理念であり、彼の日本に対するその他の見方はいずれもこれを中心に展開されている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年2月21日