夫婦別姓を尊重すべきとの考えは、日本では1975年から既に注目されている。関連する法案は、1998年から毎年のように取り上げられるが、党の反対や世論の圧力により、通ったことは一度もない。2009年、民主党が政権を握るようになり、「民法」の改正が認められたため、女性は結婚後も自らの姓を使用できる法案が再び、議題に上がった。しかし、結局は上手くいかず、お蔵入りになってしまった。
夫婦別姓に激しく反対している自民党は「家族が同じ姓を名乗るのは100年もの長きにわたって受け継がれてきた制度である。夫婦別姓を認めれば、家族のまとまりという概念が弱くなり、家族の崩壊を招き、日本全体がばらばらになってしまう」と主張した。2010年5月に行なった世論調査によると、夫婦別姓を受け入れると答えたのはたったの4割だった。また、ルース・ベネディクト著の「菊と刀」では、日本は「恥の文化」として「常に他人の目の中で生きていく」日本女性の家庭観と体裁を重んじる価値観について述べている。夫婦同姓はまとまりとしての家族の象徴であり、結婚後は自分の姓を捨てるのが当たり前であるとされた。
東京大学法学部の学生である岡田さんは、この事件は無茶苦茶だと感じたようだ。これは若者の代表な考え方であると言える。
「我々の世代は学校でも男女平等について教わっているけれど、現実の社会はそうではない。私自身、妻が夫の姓を名乗るのが自然であると感じる。姓を変えることで妻は『夫の人』になるという意味があり、それこそ、長年受け継がれてきた伝統の素晴らしさだ」と岡田さんは「中国新聞週刊」の取材で答えた。
夫に先立たれ、大勢の年老いた女性は自分のお墓の心配をする。日本では、1つの家族の父、母、男の子孫とその妻子は同じお墓に入る。墓石にも「誰々家の墓」としか書かれない。ある人は面白おかしく、「旧姓に戻したいのは、ずっと苦労してきたから、死んだ後まで姑の顔を見たくないからだ。女性が欲しがっているのは、自立した人生を送った証拠なのだ」と言った。
塚本協子さんも、そのように考えているひとりである。彼女は63歳からずっと女性問題を研究している。舅姑の世話という肩の荷が下りてからは、積極的に活動をするようになった。「他の人にとってはなんともないことだけど、私はずっと馬鹿みたいに諦めずにがんばってきた。今になって、やっと良い方向に向かいつつある。これは1960年代には想像もできなかったことだ」と岡本さんは言う。
「法が改正されることをずっと求めてきたが、残念なことにまだ実現できていない。彼女たちはもう待ちくたびれたのだ」と5人の弁護を勤める神原英資さんは、この訴訟の真の意味を理解していた。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年2月21日