張学良は日本をどう見たか②父の爆死について

張学良は日本をどう見たか②父の爆死について。

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発信時間: 2011-02-24 13:46:16 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

張学良は日本をどう見たか①政治の極端は恐るべき 

張学良(1901~2001年、関東軍により爆殺された張作霖の長男)は、日本が父を爆死させたのは、極端へと向かう島国が一つの大国の国情を理解できなかったことによる誤った判断から講じた極端な恐怖であり、一つの侵略国家がすでに過去のものとなった「強奪」の経験からあぶり出した愚鈍だ、と考えた。

「日本人は聡明ではない」

日本が中国で傀儡を探し求める場合、傀儡に対する第一の要求はただ日本に従い、でなければ殺すだった。「日本のあの少壮派の者たちは父が話を聴かないと感じ、傀儡にしなかった」。「日本人はそのとき非常に事理をわきまえず、かなり愚かで、父はそのとき一心に合作を考えていたが、その条件はことのほか厳しかった」。日本人は、張作霖を爆死させれば、東北は張学良の手に帰し、張学良は若くてあしらいやすい、と考えた。

「日本人は聡明ではない……父を爆死させたのは、国家といった問題であり、どうして合作できるか、と私は言った……だから、日本人は物事を見る目が非常に狭量だと考えた」。日本は、中国はやはり甲午中日戦争(日清戦争)のころの中国だと考え、中国人がまさに覚醒しつつあることに気づかなかった。「日本の中国に対する判断はまったく誤っている。私は日本人に言ったのだが、中国のその時代の人をまったく、50年、100年前の人であるかのように見ており、清代の人たちを驚かせたようだ。中国人はそのときすでにおおかた覚醒しており、日本は中国の情勢をはっきり分かっていない、と私は言った」

「日本が滅びていないのは、真に神の恩恵である!」

1927年4月に田中内閣が成立し、「満州は日本の生命線である」と明言し、中国に対する政策は次第に緊迫の度を増していった。「そのとき、われわれは小さな兄弟になりたいと思っているが、それも駄目なのか、と私は日本人に言った」。

「日本の文人は極めて大きな権限は持てず、軍人は実際、外交や政治を理解していない」。「そのとき、南満州鉄道、旅順と大連は期限が近づいていた。返還のため、このことを事前に話し合った。当時、私は一つの施策を考えていた……主権はわが中国であり、私が取り戻す」。「その結果、彼らの一言が私を激発させた。われわれ日本には『城に矢を射ったなら、矢を射って取り戻す』という古い言葉があると。その意味は、私は武力で取ったのだから、その条件は役に立たない、武力で取り戻さなければならない、ということだ」

歴史上、いかなる国であれ理性を失えば、国は必ず滅びる。張学良は日本が理性を失ったことを目撃したのみならず、被害を受けた人でもある。そのため、彼は晩年、宗教的な言葉でこう感嘆している。「日本というこの国が滅びていないのは、真に神の恩恵である!」

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年2月24日

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