津波は地震ほど頻繁に起きないが、その対策は極めて難しい。一旦津波が発生すれば、その被害は地震をはるかに凌ぐものとなる。今回津波の被害にあった岩手県三陸沿岸は1896年以降の100年で4回津波に襲われた。1896年の「明治三陸地震」により、38メートルの津波が発生し、2万人以上が亡くなった。1933年にも「昭和三陸地震」による28.7メートルの津波で3千人が亡くなっている。
そんな2回の大津波を経験した三陸の人たちが、何の対策もとっていなかったわけではない。1933年の昭和三陸地震で壊滅した岩手県宮古市田老町は同じ悲劇を二度と繰り返さないため、1982年までの30年間で世界最大の、長さ2.433キロ、高さ10メートルの防波堤を築いた。
この防波堤は、1960年のチリ地震による津波を防いだことから、津波を克服する方法が見つかったかに思われたが、莫大な建設費がかかるため、すべての三陸地域の海岸に建設するわけにもいかなかった。ところが、今回の地震でこの防波堤でさえも役に立たないことが無情にも証明された。田老町はまた津波に流され、平地と化してしまったのだ。
今回日本で起きた地震によって少なくとも原子力発電所と津波という2つの厳粛な課題が突きつけられた。これらの課題をいかに解決するかが人々に問われる。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年3月16日