3.物資の欠乏
賈秋雅さんの紹介によると、大部分のスーパーやコンビニストアの食品や水はほとんど皆売切れてしまっている。幸いにも日本人は小麦粉を食物として使う事があまりないので、同じ建物に住む同僚の奥さんは小麦粉を買ってきた。これで餃子をつくるか饅頭をつくることができる。
昨晩深夜二時に最後の原稿を整理し終わって、賈さんは隣のコンビニで買い物ができるか、ちょっと運試しに行ってみようと思い立った。彼を驚かしたのは、ラーメンがあるばかりか、握り飯があり、更にはあつあつのおでんもあったのだ。レジ係の若者は、深夜一時から二時はコンビニの商品入荷時間で、明るくなったらすぐなくなるだろう、握り飯は一日一回換えるが、普通は朝になるとすぐ売り切れると言う。
4.燃料の買いだめ
賈秋雅さんはよく路上で不思議な光景を見た。二車線の道路で、外側は車が停滞して動かず、内側はよく空いているのである。これは政府高官が内側の道路を専用車両として使用している等ではない、皆が列を作って給油を待っているだ。2キロ以上の長い列である。
いつおきるかわからない余震と拡散する恐れのある放射線放射に対応するために、東京のあらゆる自家用車がガソリンを買いだめしている。車を使う使わないに関係なく、先にガソリンを満タンにして、少なくとも先に400キロは走行できるようにしている。しかも一軒のガソリンスタンドの給油量は一台あたり15リットルのみと言われて、一台の乗用車を満タンにするために何軒ものスタンドに行って列に並ばなければならない。
今、東京では食品、飲料等日用品が全面的に少なくなってきており、電池、懐中電灯、ラジオ、ヘルメット、バケツ等緊急対応商品が早くに売り切れてしまっている。「16日の午後、我々は手を尽くし苦労して、やっとの事でヘルメット5個を手に入れ、家に持ち帰り皆で試しにかぶってみて、新年を迎えて新しい衣服を着るよりも嬉しかった。もちろんこの喜びも一瞬のものである。全面的な不安は始まったばかりなのだ」と賈秋雅さんは言う。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年3月17日