文=泉川友樹
報道によると、2010年の中国のGDP(名目GDPで5兆8786億ドル)が日本を超え、世界第2位になった。
人口にして日本の十倍、国土面積で二十数倍を誇る中国の経済規模が日本を上回るのは当然との見方がある一方、日本の国際社会での影響力低下を危惧する声も上がっている。
中国はどのようにして今日の地位を築くに至ったのだろうか?これを機に振り返ってみることは、多少意義があると思われる。
清朝末期、中華民族は日本を含む列強に国土を蹂躙された。列強が中国大陸に侵入した理由はとりもなおさず、戦略的・経済的に重要であったからだ。18世紀末、清朝最盛期のGDPは世界の3分の1を占めていたとする研究結果もある。
庶民が実感していたかは定かではないが、清朝は当時世界で最も繁栄を誇った国の一つであり、そのことが中華民族の自尊心形成に大きな役割を発揮したことは想像に難くない。他国の侵略により、その自尊心は徹底的に傷つけられたことだろう。経済的にはどんどん先を越されていった。
その後、辛亥革命、抗日戦争、国共内戦等激動の時期を経て、1949年10月1日に中華人民共和国が成立した。新中国成立後も、大躍進や文化大革命等の混乱が続き、1978年に至ってようやく改革開放政策が始動した。 それからの三十数年、中国の躍進ぶりは目覚ましかった。それまで蓄積されていたエネルギーが爆発するように、中華民族の誇りを取り戻すかのように経済発展の道を突き進んだ。対外的には廉価な労働力や優遇政策を呼び水に外資誘致を積極的に進め、2001年のWTO加盟後は対外開放分野を次々に拡大していった。その結果、世界中の資本がどんどん中国に集まるようになり経済規模が年々拡大、2010年についにGDP世界第2位の経済大国になった。
「中国のGDPが日本を抜いた」というのは1つの結果に過ぎない。その背後には侵略、革命、内戦、政治的・経済的混乱等、数多の困難に直面し、立ち向かい、乗り越えてきた中国人の大変な努力があったことを忘れてはならない。そのことに敬意を払いつつ、日本は中国と今後どう付き合っていくのかを考えていくべきだと思う。日本人も相当な努力と覚悟が必要であろう。
おりしも日本は菅内閣が「平成の開国」を打ち出している。貿易・投資等の自由化に舵を切ることによって、諸外国の経済発展の活力を取り込もうという戦略だ。
当時とは状況は違うものの、諸外国との交流を進めることにより経済発展を図るという障ナ小平が下した決断を、菅首相は下すことができるだろうか。GDPがアジアナンバーワンでなくなった今、これからも国際社会で大きな影響力を維持しようと思えば、ここが正念場であろう。
泉川友樹:1979年2月生まれ。東京都在住。出身は沖縄県豊見城市。1999年、沖縄国際大学2年次の時に中国語と出会い、学習を始める。2002年、沖縄国際大学文学部社会学科卒業(考古学専攻)。2003年-2004年 人材育成財団の「同時通訳養成プログラム」により中国留学。北京外国語大学で通訳コース修了。2006年-現在 日本国際貿易促進協会に就職。日中両国の経済交流促進事業に従事。
人民中国インターネット版より