4月4日、福島原発は太平洋に臨界で放射能汚染された汚水を放出、「想定外」で制御を失った放射能漏れは「やむを得ず」故意の放射能放出に至った。日本の震災の重点と国際社会の不安の焦点はここに移った。日本国民、世論は疑惑、パニック、怒りを抑えきれなくなり、東京電力、政府の無責任な「暴行」に抗議を向けられた。周辺国の災害支援の親切心も、日本の災いを隣国に押し付ける行為により、失望へと変わりつつある。
反省点として注目しなければならないのは、日本で長期にわたり原発反対の市民運動が活発に行われているが、知識層や公共メディアが事実を明らかにしたように、お題目のように繰り返される「想定外」や「やむを得ない」とは全く相反するもので、放射能危機という人災は本来、回避できるということだ。福島で発生したのは放射能漏れだけでなく、積極的な意味ではおそらく徐々に政治の害毒や歴史の腐臭が人々に表面化したといえる。
原発背景にある保守政治
不思議に思う人は多いだろう。唯一原爆の被害国で、しかも地震が頻発する日本は、国民の反原子力意識が高く、「原子力アレルギー」といってもよいくらいなのに、なぜ原発大国になったのかと。
「推進派」は通常以下のような理由を揚げる。原発は、経済性に優れ、エネルギー効率が高い。CO2放出量が少ない。これらはもちろん「反対派」の標的になる。原発放射性廃棄物の数百年に及ぶ管理費や事故発生時の放射能汚染による損害は、恐ろしいほどの環境災害とコストが必要になる。自然災害、敵の来襲、政治、企業の癒着、未成熟な技術知識、工程レベルの欠陥、人的管理の不首尾などの問題を含んでいる。この事故の潜在的な必然性は、原発の「経済論」や「クリーン説」など人を欺く虚構で決定されたものだ。
事実はこうだ。今年3月、福島原発一号機は一般的に寿命とされている40年周年を迎えた。廃棄の意見は強かったが、東京電力は「安全性を確保できる」と60年運転可能と主張。原子力保安院は2月、10年の延長を認可した。日本原子力開発機構の責任者はメディアが老朽化について言及した時、設備の耐震性検査は「終わることはない」と否定的に認識していた。「安全」、「経済性」は低レベルの地震、津波を想定しており、「老朽化」設備を強いて使用することを前提としている。クリーン性については、エリアの環境生態系は破壊され、放射能塵は世界に拡散、海に汚染水が放出されている事実を前に、この戯言を証明できるというのか!
日本の学者は今回の地震以前に、知識の欠如、官僚主導政治、電力閉鎖体制が日本の環境エネルギー政策を決定させ、化石燃料や原子力発電中心の「20世紀モデル」に停滞させ、再生可能エネルギーや省エネ中心の「21世紀モデル」への転換を難しくしてきたと主張してきた。著名な反原子力ノンフェクション作家である、広瀬隆氏が昨年出版した、『原子炉時限爆弾 大地震におびえる日本列島』でこう警告している。原発は地震で制御できなくなり、放射能を周辺に拡散し、「原発震災」となる恐れがある。福島でこの予言が当たり、彼は痛烈に政府、企業、メディア、御用学者の隠ぺいを批判した。「想定外」といった言葉を持ち出すまでもなく、一号機は40年を経過したのだから、廃棄すればよかったのだ。100年前、日本には38mの津波の記録があるのだから、「想定外」な訳がない。彼は、自民党と民主党が核兵器を夢想し、電力会社は目先の利益を追求し、「自主、民主、公開」の原則と「平和原子力」の大発展を高らかに叫んできた。こうして、「だれも収束の手立てがわからない」惨状は醸成されてきたのだ。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2011年4月15日