地震と津波が鈴木さんの生活を変えてしまった。今のところ彼の自由になる世界は、わずか長さ6フィート、幅12フィートの小さな方形の区域のみである。ここは宮城県多賀城市の文化センターで、大地震の後に避難所になったのだ。
地震後1時間たって鈴木さんの妻が母親を伴ってここにやってきた。一日経ってから鈴木さんが二人の娘を連れてきて一家がそろった。
鈴木一家の布団のそばに周囲の被災者が大変うらやむ家具が一つある。それは小さな旅館のがれきの中から取ってきた簡易ソファーである。このソファーを拾って帰ってきたのは、これが以前の良い生活を思い出させてくれるからだと鈴木さんは言った。
ソファーは家族のベットになる。ただしこのソファーはいつも楽しさと気持ちよさをもたらすわけではない。鈴木さんの妻は夜、よくソファーから転げ落ちて痛くて眼が覚めるのだ。「幅が狭すぎる」と鈴木さんはどうしようもなく言う。
小さすぎるのはソファーばかりでなく、この大きな文化センターもそうである。
ここでは、平常時は多くの人が参加する文化的な催しや体育試合を行なうのだが、今は被災者が多すぎてホールは人で一杯で、廊下にも毛布が一面に敷かれている。
78歳という高齢の鈴木さんの母親がいちばんつらく感じるのはトイレである。避難者があまりに多くて順番待ちの列が尋常ではない。他に風呂も問題である。「ここに来てから5週間も熱い風呂に入っていない、なつかしいな」と鈴木さんはため息をつくように言いつつ疲れた足腰を伸ばした。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年4月15日