東電の作業員に操作訓練を行う彭延寿氏(左から一人目)
三一重工ポンプ事業部浙江支社の技師である彭延寿氏は、2007年からアームの長さ66メートルのポンプ車のメンテナンスを担当し、同社の長いアームを持つポンプ車の性能をよく理解している。そのため、長さ62メートルのポンプ車を使った日本での救援活動にも派遣された。記者は彭延寿氏にインタビューし、日本で救援活動に参加した12日間の経験と感想を伺った。
記者:今回参加した救援活動の日程について簡単に話してもらえますか。
彭延寿氏:3月22日夜9時過ぎに日本の大阪に着き、23日にポンプ車の寄贈式に参加しました。24日に大阪の港でポンプ車を迎え、25日から26日まで千葉県で東京電力の作業員に操作訓練を行いました。31日にポンプ車は正式に注水作業を開始し、私たちは電話などを通して後方支援を行い、4月4日に帰国しました。
記者:東日本大震災の発生後、余震や放射能漏れの2つの危険がありましたが、日本に向かう当初はどのような心情でしたか。
彭延寿氏:会社は日本に行くよう電話で通知した時、身体の危険があることから意見を求めましたが、私は快く引き受けました。あれこれ考えず、ただ災難を前に自分のできることをすべきだと思いました。私は2007年に三一が開発した長さ66メートルのポンプ車に触れ、同じ型のポンプ車のメンテナンスを担当するようになり、三一の長いアームを持つポンプ車の性能を十分に理解しています。会社が私を日本に行かせたのは、私を信頼しているからでもあると思います。
記者:ご家族は日本に行くことに賛成でしたか。
彭延寿氏:正直に言うと、心配しなかったと言えば嘘になります。でも、心の中では応援してくれていました。その日の夜、大阪に着いて家に電話をかけたのですが、誰も出ませんでした。数日後に家族と電話で話して、最初はとても焦っていたけど、テレビで私の姿を見て安心したことを知りました。