記者:日本で活動した12日間に何か困難に遭遇しましたか。
彭延寿氏:私たちの日本での主な任務は、東電の作業員がポンプ車を理解し、操作できるように千葉県で2日にわたる操作訓練を行うことでしたが、比較的スムーズに進みました。もっとも不便だったのは言葉が通じないことで、多くの場合で中国と日本の文字を照らし合わせて交流するしかありませんでした。そのほかに飲み水の問題です。日本の水道水が汚染され、初めの数日はミネラルウォーターもなかなか手に入らず、私と2人の技師で協力してなんとか6本のミネラルウォーターを買うことができ、3日間持ちこたえました。日本の食事に慣れず、自分たちでカップ面を食べたりもしました。
記者:救援活動に参加した数日間で、もっとも印象に残っていることは何ですか。
彭延寿氏:日本で最初に感じたことは、日本人の民族的素養が高いということです。特に、大地震の後も社会秩序を守っていることに感心しました。私がもっとも誇りに思っていることは、三一のアーム62メートルのポンプ車のずば抜けた性能が日本で認められ、「メイドインチャイナ」が国際救援で再び最大の効果を発揮したことです。
日本で飛行機を降りて税関を通るとき、税関職員に救援作業に参加するために来たことを伝えても初めは信じてもらえませんでした。でも迎えに来ていた代表を見て、私の身分を確認すると、称賛する目を私に向けて「がんばって」と何度も励ましてくれました。
もっとも心を打たれたのは、東京電力の3人の作業員の中に家族が津波に巻き込まれた人がいたのに、訓練中もみんな非常に真剣で、家族が犠牲になっても訓練に影響がなかったことです。災害を自ら体験したわけではないけど、私自身も壊滅的打撃を深く感じました。彼らが悲しみを力に変え、一刻も早く美しい故郷を再建できることを心から望んでいます。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年5月5日