執筆記者:「日本新華僑報」社長・蒋豊
温家宝総理が東日本大震災の被災地である宮城県を慰問した際、取材陣の一人が、今回の津波で犠牲となった佐藤水産株式会社の専務・佐藤充さんについて、温家宝総理にコメントを求めた。佐藤充さんは津波が来る直前に、中国人研修生の女性20名を安全なところに避難させた後、そのまま行方不明になったのである。温家宝総理は、それを受け、「彼の行動については私も耳にしています。なかなか出来ないことだと高く評価しています。彼の行動から、中国人に対する日本人の温かい気持ちがうかがい知れます」と答えている。
佐藤水産株式会社社長・佐藤仁さん
6月10日午前、佐藤充さんの兄である佐藤水産株式会社社長・佐藤仁さんが「日本新華僑報」に招かれ、安徽省出身者で組織された在日華僑団体「日本徽商協会」の義援金を受け取っている。以下に、故人・充さんに関するインタビュー内容を紹介する。
充さんは今年55歳、早稲田大学法学部の卒業生である。常日頃からとても中国が好きで、中国から来た研修生を非常に大切にしていた。中国人研修生の帰国時期になると、東京ディズニーランドにみんなを連れて行くのが慣例になっていた。あの日、大地震が起こった後、充さんは、ただおびえるばかりの安徽省や遼寧省出身の研修生の女性20人を連れ、工場の裏手にある高台の祠の所まで避難させた。
佐藤仁さんは写真に写っている祠を指さし、このように述べている:「この祠は佐藤家の祖先が建てたものだと聞いています。女川町の守護神が祀られており、毎年、お祭りの時と年越しの時だけ祠の扉を開けますが、普段は鍵をかけてあります。弟はあの日の朝、何らかの目的で扉を開けたまま、鍵をするのを忘れていたようです」
高さ20メートルの高台に祀られた女川町の守護神が、恐らく若い研修生たちの命を守ってくれたのだろう。
佐藤仁さんによると、当日の午後3時半、会社は来客を予定していたため、充さんはその客人の安全を確保しに行こうとし、津波に巻き込まれたのだろうとされている。地震発生から1カ月余りが過ぎた4月10日、倒壊した工場の瓦礫の下から、充さんの遺体が発見された。
佐藤水産株式会社は設立30年以上の歴史を持っている。2代目社長である佐藤仁さんは「佐藤水産を再生させるのは難しい」と述べている。6月10日、日本徽商協会の王強林会長や陳建中、呉暁楽福会長らが、在日華人華僑の感謝の気持ちが詰まった義援金を仁さんに手渡している。この一件は日中友好を語る上で避けられない悲しい美談となるだろうと思われる。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年6月16日