文=コラムニスト 陳言
バブル景気の始まりの年と言われる1987年、日本の地価総額は1,673兆円に達した。その頃中国は、国策である改革開放(1978年~)実施からすでに10年近くが過ぎようとしていたが、中国国民には、地価や不動産価格の概念がまだ生じていなかった。私は当時、日本に留学中であったため、1億人総浮かれのバブルとその崩壊を目の当たりにしている。その経験や教訓を、今、同じくバブルの真っただ中にいる中国人達に伝える事が出来るかも知れない。
◆(3)田中森一の反転
バブル、それは人を変えるモノ。
1980年代、日本には、検事時代に数々の汚職事件を解決した田中森一という弁護士がいた。田中森一はもともと、日本の「政・財・官癒着」構造を目の敵にした検事であり、リクルート事件(1980年代末に起こった戦後最大級の汚職事件。当時の首相であった竹下登も疑惑リストに並んだ)の際には、特捜部の担当検事として、数十億円におよぶ大物政治家と企業間の贈収賄事件の捜査を行なっていたが、上層部からの命令で追及を止められたのをきっかけに検察官を辞職し、弁護士となっている(日本では法律の規定により、辞職した検察官に対し自動的に弁護士の資格が認定される)。
だが、検事退官後、田中森一はそれまでとは全く異なる道を歩むことになる。暴力団などの裏社会や汚職事件の弁護をすることで、巨額の富を得るようになったのだ。田中森一は後々、「パーティに行くと、たいてい交通費だとかお茶代とかが渡されます。開けて見ると中には1千万円(約10万ドル)入っていたなんてこともありました」と語っている。政治家や暴力団などの裏社会が土地や株への投資に躍起になっていたバブル期は、田中森一に金を稼ぐ絶好のチャンスを与えてくれた時代でもあった。
弁護士時代には「闇社会の守護神」と呼ばれた田中森一だが、最終的に詐欺事件の実刑判決を受け、正義とも詐欺とも関係が断ち切られた。