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「出の法令」=販売に関するルールまで考慮すると、電気自転車の中国内での発展は本当に良い例です。中国では販売規制(許可)や消費者が路上で使用することに免許が必要なかったので、電気自転車は多くの消費者がどこでも変える手軽な乗り物としてひろがりました。このことによって、上述の中小企業のみならず比較的大きな企業も十分な利潤をあげ、また企業間の模倣が蔓延しましたが、その模倣速度を追い抜くかのようにマイナーバージョンアップを各社が繰り返していきました。
「自由に模倣する」というだけでなく「売れるから作る」という「入」と「出」が揃った環境ですね。新興の小さな企業・ベンチャー企業にとってはラッキーな環境といえるでしょう。
これによってわかることは、いままで1つの個別企業内での技術発展を擁護するという意味で、規制擁護論が語られましたが、実は社会全体からみると、社会全体として模倣されながらも技術発展する例もあるということが言えるでしょう(発展する技術は限られるでしょうが)。
よって、この2つの面白い点をまとめると、製造や販売のルールについて規制が曖昧であればあるほど、産業内の企業地位が刺激的な環境に置かれむしろ企業努力を促し、産業構造をより良く変化させること、そして、マーケットサイドの需要が加速されることで、個別企業内での技術革新は低減するものの社会全体としての技術発展はあるかもしれないこと、が考えられることです。
いかがでしょうか、多少、理論が飛躍しすぎなところもありますが、なかなか興味深い事象だと思いませんか?
最後に、日本が先日の大震災で官邸・経産省保安院・東電などに批判が集中しましたが、これまでの既得権益保護主義が過度に行き過ぎた結果だったのかもしれません。
「出世をすると、後からでてくるものの芽を摘む。」というのは世の常であろうとおもいますが、権力集中が見える化されていて産業的には無規制放置論の立場の中国、権力集中が隠されていて産業的には規制擁護論の立場の日本・・・ということが言えるでしょうか。
ちなみに、今回のブログでは「曖昧性」を支持するような主張が多かったですが、僕自身はそれでもやはり「規制擁護論」を支持します。規制を明確化したほうが産業発展すると思っています。
ただ、産業のあり方、技術発展のあり方として「中国が先進国を見習え」ということはよく論じられることですが、社会生態として日本が中国を見習う「部分」もあるんじゃないかなぁと思うところです。相互学習ですね!
(中川幸司 アジア経営戦略研究所上席コンサルティング研究員)
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年7月4日