熊谷勝(音訳)氏が一生懸命働いているこの廃校となった小学校は、まるで公用の屋根裏部屋のようだ。古い漁具に農機具、玩具、学校の保存書類などがぎっしり詰まっていた。これらは陸前高田市が3月に大津波に襲われ後、市立の海・貝のミュージャムに残された所蔵品である。海岸沿いの小さな町の人口は2万3000人余り、津波でおよそ10%の人が亡くなり、中心部は廃墟と化した。米紙ウォール・ストリート・ジャーナルが伝えた。
できる限り多くの物を救い出す
熊谷氏は海・貝のミュージアムの館長。この数週間、損壊した現場で掘り出し作業の陣頭指揮を取ってきた。ミュージアムで働いてかなりの年月がたつ。巨大な津波で建物は数万トンの泥に埋もれ、1台の車が展示ホール側に横倒しになっていた。それでも熊谷氏は、冷たく湿った館内から力の限り、できるだけもっと多くの物を救い出そうと思った。
見つかった中で最も重要なのは、陸前高田で最も古い住民が作製した有史前の骨製の漁具、それに古代の磁器の破片。こうした文化財を保存し、そのための“新しい家”を探し出すのは陸前高田にとって特別な挑戦だと言っていい。3・11で最も深刻な災害を被ったからだ。
4月末、熊谷氏は「探したぞ、探したぞ」の叫び声を耳にしてミュージアム1階の部屋に駆け込んだ。見ると、探していた職員が鋼製の剣を高く掲げて振っていた。この剣は1200年以上の歴史があるという。
さらに掘り出した結果、付近で表面に砂と鉄さびが付着した剣を2本発見。学者によると、これら3本の古剣は日本早期の刀剣の変遷を示しており、日本の武士文化の核をなすものだという。
また、価値はあまり高くはないが、やはり非常に貴重な物も発見された。珍蔵していた漫画本、玩具の綿毛熊、地元で著名な博物学者の半身銅像など。陸前高田が徐々に失おうとしていた集団の記憶の一部である。
熊谷氏は「まだ見つかっていない物もあります。大型オオヤマネコの歯で作った極めて珍しい有史前の下げ飾りは、恐らく見つからないかも知れませんね」と残念な表情を見せた。
やるべきことはまだ山ほどある