博物館長、大震災後の町の歴史の記憶を救い出す

博物館長、大震災後の町の歴史の記憶を救い出す。 熊谷勝(音訳)氏が一生懸命働いているこの廃校となった小学校は、まるで公用の屋根裏部屋のようだ。古い漁具に農機具、玩具、学校の保存書類などがぎっしり詰まっていた。これらは陸前高田市が3月に大津波に襲われ後、市立の海・貝のミュージャムに残された所蔵品である。海岸沿いの小さな町の人口は2万3000人余り、津波でおよそ10%の人が亡くなり、中心部は廃墟と化した…

タグ: 日本 博物館 館長 震災後 歴史 記憶

発信時間: 2011-07-25 16:17:20 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

やるべきことはまだ山ほどある

熊谷氏は津波で自宅を失い、養老院を改修した緊急避難所に身を寄せている。この数日、寝ている以外はほとんど陸前高田の損壊した文化財の保護に当たっている。その中で一番重要なのが、市立の海・貝のミュージアムだ。グループと一緒に収蔵品の救出に向け第1歩を踏み出した。

魚網や和服に着いた塩を洗い落とす、じくじくと湿った本を乾かす、歯ブラシで骨製の工具をきれいにする、カビよけのためアルコール処理する……。

古い馬の鞍に精米機、神社のわらの装飾と、屋内には過去の記憶が一杯詰まっていた。「やるべきことはまだ山ほどあります。どれほどの時間がかかるか分かりませんが」と熊谷氏。

数多くの最も重要な文化財、あの数本の剣や歴史の長い日記などは、修復や保管のために別の博物館に移された。ミュージアムの職員は全員が津波で亡くなった。熊谷氏はこう語る。「私の原動力の源の一部は、彼らを追想したいという渇望にあます。恩師の佐藤雅彦(音訳)氏も亡くなりました。地元の学者で、考古学を学ぶようになったのは、先生が励ましてくれたからです」

博物館の再開を心に決める

     1   2   3    


日本人フルタイムスタッフ募集
「中国網日本語版(チャイナネット)」の記事の無断転用を禁じます。問い合わせはzy@china.org.cnまで

コメント

コメント数:0最新コメント

コメントはまだありません。