博物館長、大震災後の町の歴史の記憶を救い出す

博物館長、大震災後の町の歴史の記憶を救い出す。 熊谷勝(音訳)氏が一生懸命働いているこの廃校となった小学校は、まるで公用の屋根裏部屋のようだ。古い漁具に農機具、玩具、学校の保存書類などがぎっしり詰まっていた。これらは陸前高田市が3月に大津波に襲われ後、市立の海・貝のミュージャムに残された所蔵品である。海岸沿いの小さな町の人口は2万3000人余り、津波でおよそ10%の人が亡くなり、中心部は廃墟と化した…

タグ: 日本 博物館 館長 震災後 歴史 記憶

発信時間: 2011-07-25 16:17:20 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

博物館の再開を心に決める

災害が発生した時、44歳の熊谷氏はミュージアムの館長を務めていた。建物は損壊し、今はそこで文化財の救出活動を展開しているところだ。

熊谷氏は幼いころからコレクションに熱中していたが、高校に進むと歴史クラブに入会。毎週、活動で市立ミュージアムを参観し、そこで分類学と人類学という学術の世界に触れた。漆喰工の一人息子にとって、それは華麗で奇異な世界であり、ミュージアムは氏の第2の家となった。

熊谷氏は「私はミュージアムで育ちました。陸前高田の子どもたちが、少なくともこの地域の昔の豊かさを理解するチャンスがもてればと願っています。現在、子どもたちは加工され、スーパーで売られている魚しか見ることができません。私たちは今、私たちの文化の源から遠ざかろうとしています」と語った。

だが、日本のその他の地域と同様、陸前高田は災害が発生する前から莫大な債務を背負っており、ほかにも果たすべき要望が数多くある中、ミュージアムが少なくとも以前の姿を取り戻すのは極めて難しいだろう。

熊谷氏によると、新規に建設する場合は数百万ドルかかる。たとえそうであれ、ミュージアムを再開し、陸前高田の過去の歴史を後世に伝えることを心に決めている。

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年7月25日

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