中国人は善良、徳を以って恨みに報いることで知られる。自らに大きな災難をもたらした侵略者に対してもそれは同じだ。ただ、中国人は情が厚いとはいえ、「侵略者」という概念をぼかしてはならない。新華社のウェブサイト「新華網」が伝えた。
◇地元の農民を圧迫した権力者
日本が中国を侵略した時期に東北地方に派遣した「開拓団」について、実際にそれを体験した人の記憶では、日本人はいい土地を占領し、中国人を誰も住んでいない野山に移住させ、そこを「部落」と呼んだという。いわゆる「部落」の生活はどんなだったか?一家5人で一枚の布団しかなく、昼間それを着、夜それをかけて寝ていた。ある時は疫病が流行り、一冬で200人のうち死者108人を出し、10世帯が死に絶えたという。
黒龍江省社会科学院歴史研究所の王希亮研究員は、「開拓団」を普通の庶民と見てはならないという。彼らは当時、東北の農民の土地や家を占領、そのうち農業移民は農業をしなくなり、これらの土地を地元の農民に貸して耕させ、植民地形態の下で新しい地主となっていた。一言で正確に言うと、彼らは地元の農民を圧迫する権力者だったといえる。
◇国を挙げた軍国主義の熱狂
「開拓団」が侵略者かどうか。彼らはただの日本の一般人で、侵略戦争の被害者だとするのは浅はかな観点だ。日本の中国に対する侵略は、他の帝国主義の列強と同じ点もあれば、違う点もある。
違う点は、平等に利益を貪り、中国市場を開こうとしていた英米などの西側国家の侵略目標や、中国で南方の港や極東の植民地を占領しようとしていたロシアの目標と異なり、日本は軍国主義体制を根本に、中国の全面的な併呑を目標としていたことだ。日本の狭い国土、乏しい資源、末端の人民に対する財閥大手の手ひどい搾取、そのすべてが国を挙げての軍国主義の熱狂、中国侵略に伴う超大規模な移民と種族絶滅を促した。日本の目標は中国を併呑し、世界に覇をとなえる礎にすることだった。