ニューヨークなどで不動産を買い漁る中国人投資家の姿が米メディアで盛んに取り上げられている。中国人投資家による今の対米投資ブームは、ジャパン・マネーが対米直接投資に明け暮れた1980年代の状態とよく似ている。専門家は、「景気回復が遅れている米国では、チャイナ・マネーの流入に歓迎の態度をとる一方で、警戒心も忘れていない。当時、対米流入したジャパン・マネーが、その後、米国の政策により翻弄された事例から考えると、米国は恐らく各種手段を講じて、中国の対米投資を阻止しようとするはずであり、中国はそれらの措置に常に警戒しなければならない」との見方を示している。
◇ジャパン・マネーの米国席巻、「ジャパン・バッシング」を誘発
米国の長期にわたる対日貿易赤字解消のため1980年代にプラザ合意が成立した後、急激な円高ドル安がすすみ、ジャパン・マネーが続々と海外に流出することとなった。この段階で、米国は日本の主要投資先になったのである。1985年以降、日本企業が米国企業を買収したり、米国に生産基地を設立したりといった動きが活発になっていった。
統計データによると、日本の対外直接投資額は1986~1991年で計4,000億米ドルにおよび、日本は世界一の投資大国となった。米国へと流れ込むジャパン・マネーの年間投資額は、1980年代初期の10億米ドルから、ピークとなる1990年には年間180億米ドルを超える水準にまで一気に増加した。不動産市場から文化産業に至る米国の各分野にジャパン・マネーが流れ込み、絶頂期にあった日本経済の中で生き生きと活躍する日本人の姿があちこちで見受けられた。
だが、当時、米国に流入した海外マネーの中で一番多かったのはジャパン・マネーではない。研究によると、1990年、対米直接投資の中でトップだったのは、当時の対米FDIの27%を占めた英国である。日本は21%に過ぎなかった。だが、米国のシンボル的建築物を多く買い占め、日本円が米国を買い取ってしまうとも言われるほどの勢いに対し、米国の政財界は黙っていなかった。日米の文化的な違いも加わり、米国ではジャパン・マネーへのバッシングが始まった。
◇国益を守るため米国が取った政策とは