◇国益を守るため米国が取った政策とは
日米関係は、1980年代中盤から10年ほど、ずっと緊張状態にあった上に、ここにおいて、日本は米国から「大きな脅威」と見なされるようになった。米国政財界はジャパン・マネーの流入を防ぐためにありとあらゆる措置を講じ、日本の力を弱めようとした。
まず、米メディアと知識層により、日本「脅威論」が語られ、反日感情が煽られるようになった。1991年出版の「日本との開戦迫る」の中で著者は、米ソ冷戦終結後の最大の仮想敵国は日本だと指摘している。これと呼応するように、米メディアも盛んに「日本脅威論」「日本異質論」を掲げ、旧ソ連よりも恐ろしいものは日本が目論む米国経済占領だ、と書きたてた。
米政府および議会はまた、立法および2国間協議によりジャパン・マネーの流入を制限する措置をとった。1992年1月、当時のCIA(米中央情報局)長官であったロバート・ゲイツ氏が、全米に向けたテレビ放送で「CIAは、今まで旧ソ連に注視してきたが、これからは、米国と経済および技術において競争的な関係にある国の情報収集および諜報活動に全力を注ぐつもりである」と宣言している。また、当時の国務長官ジェームス・ベーカー氏は「日本を、冷戦後の戦勝国に絶対にしてはならない」と言っている。
また、米国はジャパン・マネーの流入を制限すると同時に、日本に対して市場開放を迫っている。それだけでなく、ほかの西欧諸国と連携し、為替相場を円高方向にコントロールすることで日本経済を破綻させようとしたのである。
対米直接投資の失敗例が多く出たこと、日本経済が翳りを見せたことなどを理由に、日本政府は米国に対する投資戦略を米国の投資環境に合わせるようし、急増していた対米投資を抑えるようになった。1990年代初頭以降、日本のFDIに対する紛争は著しく減った。
◇米国:チャイナ・マネーの流入 顔では歓迎、心では警戒