文=コラムニスト・陳言
資料写真:多くの津波で流された家屋があるが、地震で崩れた建物を目にすることは少ない
3・11地震の被害が大きかった福島県から東へ、宮城県を越え岩手県まで進めば、そこには多くの津波で流された家屋があるが、地震で崩れた建物を目にすることは少ない。一部屋根が崩れ、その箇所をカバーシートで覆い雨をしのいでいる家もあるが、それほど多くない。日本家屋の大多数が有史以来の特大地震に耐え抜いたのである。
「地震の時、私は宮城県庁の建物の中にいて、上下左右にしばらく揺れ続け、キャビネットのファイルが飛び出したりしたので、みんな一斉に机の下に潜った。建物自体は絶対問題ないと信じていた。」県庁に勤める公務員はこう言った。
日本は地震大国である。大震災発生前にも、体で感じられる揺れは毎月数十回あったが、今年3月以降、その回数は更に急増し、一日に十数回、あるいはそれ以上の場合もある。地震の頻発は日本の建築物にダメージを与えたが、その地震との戦いの中で、日本の耐震及び免震技術も大きく前進した。
日本のある建築家が北京の十三陵で古代建築を見学した際、雷電による火災で焼けた建築物が残した礎石が、日本のそれと大きく違うことに気付いた。日本では通常、礎石の中心部に窪みを作り、梁の突起部分をその中に入れ込んで固定する。しかし、古代中国の礎石にはこのような窪みがなく、梁は直接礎石の上に置かれているだけだった。彼によれば、「ここから古代北京地区では地震が少なかったことがうかがえる」という。