2011年10月18日、中国国際放送局で日本語放送開始70周年を祝賀する特別記念番組が収録された。番組は70年間の放送を支えた日本人リスナーのインタヴューを中心に進められた。時に古い資料が披露され、CRIのOB、OGも参加した。
神宮寺敬さんと綾子さん
半世紀にわたってのリスナーである山梨県から来た神宮寺敬さん(91歳)と綾子さん夫妻は、年齢を感じさせない若々しさだ。1952年、当時労働運動に携わっていた技術者だった敬さんは、部品を集め短波ラジオを自作し、モスクワ放送を聴いていた。ある日、偶然耳にした北京放送との付き合いはすでに半世紀を越える。1990年代にはテレビ山梨でのCRIアナウンサーの研修を自らアレンジし、スタッフを自宅に受け入れた。入管管理局の許可がなかなか下りない中、国会議員にかけ合って研修を実現。その後、奥様の綾子さんの協力もあり、自宅を改造して中国人留学生の受け入れも続けている。綾子さんも1969年に初めて中国を訪問したときに見た「為人民服務」(人民のために尽くそう)というスローガンに感動、自分も何か役に立てればと思いで今までやってきたという。神宮寺敬さんは1920年生まれ。現在も元気にバイクも車も乗りこなす。若いときは戦争にも行った年代。番組中、自身の戦争体験にも言及。戦争から生きて帰ってきた引け目から家族にも話せなかった戦争体験だったが、今は戦争の愚かさ、悲惨さを語り続けることが自身の「任務」という。
同じく古いリスナーの岩田博さん(77歳)のコレクションは壮観だ。美しく整理された10冊を超えるファイルの「CRIからの返信」を手に日中友好を語り続ける。初めて自分の手紙が紹介された番組を録音したテープは今も宝物。その貴重なコレクションは今回の番組作成にも活かされた。こうした返信を支えてきたのは、OBの李健一さんを中心とした「お手紙返信組」というチームだった。36年間の勤務の間、1ヶ月4000通から5000通のリクエストに返信を返し続けた。1年間で10万通になった年も。裏方ではあったが、日本人との密な交流の歴史を支えた重要なチームだった。そんな手紙のやり取りから新婚旅行でCRIをたずねるカップルまでいたという。
北京放送を囲むリスナーの輪から「北京放送を聴く会」という組織が生まれた。1971年から準備会が12都道府県が参加して設立され、1973年4月正式に発足。18支部2500人の輪ができた。「北京放送を聴く会」を支えてきたスタッフである奥田さん、吉田さん、田岡さんも短波が届かない地域にいながら、かげながら北京放送を支え続けた人たちだ。北京放送をきっかけに中国にはまり、留学までしたという。