日本の東京都は第12回夏季五輪大会の開催地として、1940年9月21日から10月6日にかけてオリンピック大会を開催する予定だったが、1937年、日本は中国に侵略戦争を引き起こしたことで日本オリンピック委員会は軍隊側の圧力で、1940年に日本で五輪大会を行うことができないと発表せざるを得なくなった。
このような情勢下で、国際オリンピック委員会は第12回夏季五輪大会の開催地をヘルシンキに、会期を1940年7月20日~8月4日に変更した。
第2次世界大戦が全面的に勃発し、フィンランドは1940年1月1日に国際オリンピック委員会に主催権を放棄すると通知した。その後、戦争はヨーロッパと世界各地に蔓延し、第12回五輪大会はこれによって開催注視となった。
この写真集は1940年代に日本が五輪大会のために準備していた状況を教えてくれる。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年11月21日