ある事件が起こったときに、企業の「ユーザーへの紳士精神」といったようなものが、「危機管理」として迅速に必要とされるはずです。一方で、悪い対処法の例として間違っておこなわれてしまうのが「誤った武士道精神」的に格式的な「謝罪会見」を開き、CEO以下役員が頭を下げ続けるだけで解決法を一切示さないというような対応です。これは酷いものです。 ユーザーからすれば、不満の種は一切消えませんし、また「何も言及しない」経営陣に対して不信感を一層つよめることになります。よって、ブランド価値の低下は、事件そのものによって引き起こされるというよりも、事件の事後対応によってむしろブランド価値が向上にも低下にもなっていくわけです。
最近は、日本企業にも企業内知識(Knowledge)として、「危機管理対策」の意識が企業内に浸透してきたので、次第に「事件」というものはブランド価値向上へとマネジメント出来る対象となって来ました。
さて、東日本大震災は「国家的な事件」でした。この時、企業にはあった知識(Knowledge)が、国家にはなかったということがいえます。その政府対応のほとんどが後手後手の対応となり、また事実が公開されないことをパニックコントロールと称して正当化し、国民をさらに不安にしました。そして、これら一連の事実は、世界にも伝達され、日本のブランドは、東日本大震災ではなく、東日本大震災の後の官邸の対応によって、著しく低下することになったわけです。
今回、明治の対応は十分に評価できるほどに良かったと思います。粉ミルクへのセシウム混入発覚から、迅速な回収方針の決定、成分分析の実施、分析結果の公表、今後の消費者への対応、すべてをスムースに行いました。
「一企業にできることが、国家にできない。」
・・・実はこれは不思議なことではありません。企業も組織体でありますし、国家も組織体です。組織の大きさで比較すれば、国家のほうがはるかに大きいので、大組織は意思決定が緩慢で、変化をすることが難しく、非効率的な部門が内部に多く発生することになります、いわゆる「大企業病」が、先の大戦から考えて今の憲法下での建国から半世紀以上、社会にも富を蓄積し成功してきた日本の国家に発生してしまっているわけです。ですから、早急に日本国が「変化できる」、「変化しなければならない」、とは言いませんがもう少し民間企業の危機管理に対する知識(Knowledge)を吸い上げても良かろうと思います。
中川幸司さんのブログ「情熱的な羅針盤」