毎年8月のお盆の時期、日本人は里帰りして先祖の墓参りをする。富岡町最大の墓地にある墓は、大部分が震災で破損した。しかし今日に至るまで、補修に訪れた人はいない。松村は昨年、自分の墓を掃除し、ついでにほかの家の墓もきれいにしてあげた。
昨年の夏、松村は川に行って魚釣りをしたが、すぐに十数匹の魚を釣り上げた。おかげで、その日の食事はお腹一杯になるまで食べられた。ずっと後になって、彼はこの川の魚の体内に放射性物質が多く含んでいるという調査報告書を読んだ。
昨年、松村は東京電力から、賠償のためのマニュアルを受け取った。冗漫な文章に読む気が失せた。彼は2度、東京にある東電本部に行って交渉したことがある。東電の社員は平身低頭して謝るばかりだった。「謝罪することは、すでに被災者対応マニュアルに書かれているんだろう」と、松村は皮肉った。
松村の家の玄関から、福島原発の電塔を見ることができる。福島県で作り出された電力が東京のネオンを輝かせてきた。しかし発電所付近の村落は真っ暗なままだ。ただ松村家の小さな灯が、暗闇を照らしている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2012年3月19日
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