自文化でハリウッド映画を撃破する日本映画
ハリウッド映画は商業的な意味で質と技術が高く、日本や中国、あるいはヨーロッパやアジアの映画に勝っている。それにもかかわらず日本市場で勝てない主要な要因は、日本映画に一定の質があるためだ。2012年4月の最終週の興行収入トップ10を例にあげると、上位に入った映画のタイプやジャンルの幅はどんな国のそれより広い。その中には子供向けの「クレヨン新ちゃん」や「コナン」の劇場版や、ラブストーリーの「ももへの手紙」や「SPEC 天」、日本の商業映画を象徴する「仮面ライダー」、倫理を問う「僕らがいた」などがある。「バトルシップ」の単調なストーリーや「タイタンの戦い」の文化的差異よりも、日本映画の持つ日本的なストーリーのほうが合っていると観客は感じるのだ。また、日本の映画監督や配給会社も日本の観客が喜ぶ映画をよく知っており、そのような映画が映画館で上映されるわけである。
日本の映画市場が自国産に固執していると言いたいわけではない。むしろ、日本映画市場の開放性と制限の緩さは誰もが知るところである。しかし、このような堅固な日本映画中心の状況が、日本映画が大きく変化することを難しくしている。国内興行成績の安定が、中堅や新人監督の国際化への気概を失わせているのだ。
観客の志向が日本映画の将来を決める
2000年以降の日本映画は、佳作は多いが賞には恵まれなかったと言って良い。中堅監督が成長し、新人監督は誕生している。総じていえば、実力のある映画監督は少なくない。撮影技術でも優れたものがある。だが、作品自体は伝統文化に拘泥している。そのため、しばしば欧米の映画祭で注目されても、映画の保守性や頑迷性から賞を逃す結果となっている。
実のところ、現在の中国の第五世代や第六世代の映画監督と同様、日本の中堅と新世代の映画監督も模索時期に入っている。しかし中国の第五世代や第六世代の映画監督と状況が異なるところは、日本国民の国産映画に対する態度である。この態度が今後の日本の映画監督自身と映画芸術に対する態度を決定するだろう。
高齢社会に突入したことから、配給会社にせよ映画教育の分野にせよ、今の日本映画界は、伝統文化の色が濃厚になってきている。2011年秋に早稲田大学安藤映画実験室を取材したことがあったが、代表者の安藤玄平教授は「日本文化は日本映画の本質的な部分だが、一方でそれが束縛となっている」と嘆いていた。今の日本人は、日本の伝統文化とヨーロッパ文化の差異を借りて度々世界の映画界に異議を唱えた以前の日本人とは異なる。日本が国際化するにつれて、ますます多くの「メイド・イン・ジャパン」がヨーロッパに定着している。空手や相撲、歌舞伎、狂言などの日本文化が世界に認められた実績がある一方で、後継者たちは先達の業績の橋渡しができていないままでいる。1990年代以降、巨匠たちが退場し、中国や韓国の映画が盛り上がっている。そして日本映画は徐々に自国に回帰し、自国でその腕を磨き続けている。
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「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年5月12日