釣魚島(日本名・尖閣諸島)に米国が本当に安保条約を適用するのか否かは、実はまだ仮定の問題に過ぎない。だが現実として日本はこの仮定の問題を「切り札」と見なし、冒険的に事態をエスカレートさせている。日本は釣魚島に対する企てにおいて、猛進と沈着を兼ね備えた道を歩んでいる。例外なく入念に画策し、一歩一歩陣地を固めながら猛進しているのだ。(法制日報)
産経新聞は7月31日政府が「尖閣諸島」購入を拒否されたとの情報を他に先駆けて報道した。同日、野田佳彦内閣は東京都職員による釣魚島「上陸」と「現地調査」を許可することを検討しているとの報道もあった。玄葉光一郎外相は7月24日、クリントン米国務長官との共同決定として、「尖閣諸島」を「日米安保条約」の対象に組み込むと表明した。これに続き野田首相は、来年4月の「尖閣諸島」「国有化」に向けて政府がすでに予算調達に着手したことを明らかにした。同日、米国防総省は戦闘機「ラプター」一個中隊を沖縄県の嘉手納空軍基地に配備した。7月26日には野田首相が「必要に応じて自衛隊を用いる」と述べたとの話も伝わってきた。こうした背景を振り返ると、東京都と日本政府による「釣魚島購入争い」の真偽に関わらず、事実として日本は釣魚島に対する企てをますます進めており、しかもその強硬な言動の背後には常に米国の影があるのだ。日本が米国という「切り札」を手に上から下まで話を押し広げるのを前に、筆者は「『日米安保条約は釣魚島に適用される』との米国の姿勢表明は本当に信頼できるのか?」と問わずにはいられない。
日米は本来敵対国だった。第二次大戦後、米国をトップとする連合国軍が日本全土を占領した。1951年、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約が同じ日に締結された。前者によって日本の戦争状態が集結し、後者によって日米安保体制が構築された。日米安保条約は1960年に改定され、新日米安保条約として今日まで続いている。
1972年まで米国は琉球地区で立法、行政、司法権を全面的に行使していた。この時には日米安保条約は沖縄に適用されず、もとより釣魚島への適用に関する問題もなかった。1972年の「沖縄返還協定」で釣魚島がその「返還」地区に不法に組み込まれたことに中国は強烈に反対。両岸は中国の主権下にある釣魚島を処分する権利は米国にはないとの認識で一致していた。この時から安保条約が釣魚島に適用されるか否かについて、米国は曖昧な姿勢を取ってきた。1971年6月、ブレイ米国務省報道官は「われわれはこれらの島々の施政権を日本に返還することは、中国の根源的主張を損なうものではないと信じる。われわれは日本が以前から持っていた法的権利に口を差し挟む権利はないし、中国の権利を減少させることもできない」と表明した。1996年9月16日のニューヨーク・タイムズ紙で米国のモンデール駐日大使は「米軍は尖閣諸島(釣魚島)の紛争(武力攻撃を受けた際)に対して、日米安保条約上介入する責任と義務はない」と表明。しかもモンデール氏は米議会調査局で日米安保条約に関する報告を行った後も米国に責任と義務はないという点を繰り返し強調した。
今年に入り米国は「釣魚島は日米安保条約5条の(適用)範囲」と表明したが、全体の言い回しは依然法的な曖昧さを残したものだ。米国務省報道官は7月11日「釣魚島の最終的な主権の帰属について立場を取らないのが米政府の政策だが、釣魚島は1972年に沖縄県の一部として日本に返還された後、ずっと日本の施政権下にあり、日米安保条約5条が適用される」と表明した。これは実は条約の解釈の問題だ。日米安保条約5条は確かに「日本の管理下にある領土」との決まり文句を使っているが、この日本の「管理」する領土が一体主権管理下にある領土に限られるのか、それとも非主権下の支配領土を含むのか、条文からは確定できない。このため米国は適用すると言ったり、適用しないと言ったりできるのだ。