日本の現閣僚が公然と靖国神社へ「亡霊参拝」に駆けつけた。中国の民間の活動家が釣魚島に上陸し、主権をアピールして日本側に不法逮捕された。今年の8月15日はことのほか不穏な雰囲気に包まれた。日本が根本的是非の問題において徳もなければ信用もなく、敏感な係争において火遊びが癖になっていることは、すでに明らかな事実だ。普段とは異なる日本降伏日に起きた数々の出来事、そしてエスカレートする地域の緊張を前に、われわれはなおさらに歴史を鑑とし、高度に警戒しなければならない。
前事を忘れず、後事の師とする。第二次大戦中、中国は最も凄惨な戦場の1つとなり、日本軍は許すことのできない極悪非道の大罪を犯した。中国にとって抗日戦争は近代以降、外敵の侵入に対して初めて完全に勝利した民族戦争であり、百年の屈辱にもがく中で、多大な犠牲を払って勝ち得た歴史と運命の転機であった。8月15日はわれわれに、あの戦争に関する沈痛な記憶を再び呼び覚まし、忘れるわけにはいかない歴史の教訓を再び思い起こさせた。「立ち後れれば攻撃される。貧しく弱ければ侮られる」。これは残酷な法則だ。国家の富強と民族の振興は中国人一人一人の責任であり、中国人一人一人の尊厳、さらには命に関わるのである。
抗日戦争時の血腥い殺戮と大変な困難を振り返れば、ばらばらの砂で不和反目していては強国にはなれないこと、民族の気骨や精神的支柱を欠いては強国にはなれないことは明白だ。危急存亡のときに、中華民族は共通の敵に一致団結して敵愾心を燃やす不撓不屈の貴い精神によって、最終的に自らを災禍から救い、世界の民族の中に自立したのである。鮮血の結晶であるこの精神的な財産からわれわれは永遠に教訓を汲み取り、これを永遠に大切にすべきである。「戦を好む者は滅び、戦を忘れる者は危うい」。この警鐘を常に鳴らすべきである。
ひるがえって日本を見ると、降伏からまるまる67年経ってもなおアジアの隣国の利益と感情を尊重することを心得ていない。歴史問題においては、侵略の歴史と侵略者を美化し、すでに定まった評価を覆す動きが止むことはなく、激しさを増してすらいる。善悪を逆さまにし、怪気炎を上げ、あるいは靖国神社に駆けつけて軍国主義の亡霊を呼び戻そうとする専門家、学者、政界や経済界の要人が度々出現する。他国にもたらした深刻な災禍や死んでも認めず、あくまで開き直り、そのうえ何かといえば「歴史にこだわりつづける」と他国を非難する。道義に外れた破廉恥なこうしたやり方が、いわゆる大国という日本自らの位置づけをひどく筋の通らないものにしている。