◇軍事同盟には長い歴史がある
日米軍事同盟は生まれ備わったものでなく、冷戦で生まれたものである。日本の無条件降伏後、米国は1945年に『降伏後における米国の初期対日方針』と『降伏後における初期基本的指令』を作成し、日本を厳重かつ徹底的に処罰することを計画した。ところが、中華人民共和国の設立に伴い、赤陣営の「アジアでの拡張」は米国にとって差し迫った危機となった。冷戦という情勢下で米国がまず考えたのは、太平洋西海岸の橋頭堡を守ってソ連の侵入を拒むことで、日本はそれを実行するうえで最高の存在だった。
1948年10月、米国家安全保障会議は「アメリカの対日政策に関する諸勧告(NSC 13/2)」を発表し、米国の戦後における対日政策は処罰から支援まで、180度がらりと変わった。1952年4月に発効した『日米安全保障条約』、『日米行政協定』、『対日講和条約』は、第二次世界大戦後に米国主導型の日米同盟関係が確立したことを示す。1954年、日米は『日米相互防衛援助協定(MSA協定)』に調印し、軍事同盟を強化。1960年には『日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(日米安全保障条約)』に調印し、軍事協力の範囲を拡大した。
1970年代、米国は長期に及ぶベトナム戦争に突入し、日本の支援が必要になった。また、米国は「ニクソン主義」のもとでアジアにおける軍事配備を縮小し、日本に対する防衛面の要求を高め、日本の経済力向上と平等な協力関係への期待により、日米間のこの面における要求は一致していった。1970年、『日米安全保障条約』は自動延長され、日米軍事同盟は強固された。
米国は現実主義者であるため、常に自身の利益を優先に考える。1796年9月17日、初代大統領のジョージ・ワシントンは「諸外国に対する我々の行動の一般原則は、通商関係を拡大することにあり、できるだけ諸外国と政治的な繋がりを持たないようにすることにある」と米国人に忠告した。
◇双方とも実益を考慮