■1つの地図をもって領土問題における他国政府の立場を否定することはできない
日本は「中国は1970年代初めまで釣魚島(日本名・尖閣諸島)の領有権をずっと要求しなかった」と主張している。だが、釣魚島は古来中国固有の領土だ。早くも明、清の時期には釣魚島は中国の版図に組み込まれ、台湾の付属島嶼として管轄下にあった。
この「宣伝反撃」において、日本は自国に有利に見える特殊な事例を掴んで無闇な宣伝を繰り広げている。例えば1958年と1960年に中国で刊行された『世界地図集』が釣魚島を沖縄の領土の一部に区分けしていることを繰り返し強調している。
日本側が地図を持ち出した以上、われわれも十分な紙幅を割いて、地図に関する事実を述べようではないか。
1579年(明の万暦七年)に明朝の冊封使、蕭崇業の著した『使琉球録』の「琉球過海図」、1629年(明の崇禎二年)に茅瑞徴のまとめた『皇明象胥録』、1767年(清の乾隆三十二年)に作成された『坤輿全図』、1863年(清の同治二年)に刊行された『皇朝中外一統輿図』などはいずれも釣魚島を中国の版図に入れている。
釣魚島を記載した日本で最も古い文献は1785年に林子平の著した『三国通覧図説』付図「琉球三省并三十六島之図」だが、同図は釣魚島を琉球三十六島とは別に、中国大陸と同色で描いている。釣魚島は中国領土の一部という意味だ。1892年刊行の『大日本府県別地図併地名大鑑並地名大鑑』も釣魚島を日本領土には入れていない。
1809年にフランスの地理学者、ピエール・ラピの作成した『東中国海沿岸各国図』は釣魚島、黄尾嶼(日本名・久場島)、赤尾嶼(日本名・大正島)を台湾島と同じ色で描いている。1811年に英国で刊行された『最新中国地図』、1859年に米国で刊行された『コルトンズ・チャイナ』、1877年に英国海軍の編纂した『中国の東中国海沿海:香港から遼東湾までの海図』などの地図は、いずれも釣魚島を中国の版図に入れている。
1つの版の地図の一部を自国に都合の良いように持ち出して、領土問題における他国政府の立場を否定することはできない。これは基本的な常識だ。日本の持ち出した、釣魚島を日本の沖縄の一部としている中国で刊行された『世界地図集』は、抗日戦争前の『申報』館の地図資料に依拠したと明記されている。抗日戦争前には釣魚島はなお日本の植民地支配下にあったのだ。国際法の観点からして、1つの版の地図だけでは、自らの主張または相手の権利を否定する根拠とするには足りない。従って、上述の地図を頼りに、いわゆる「釣魚島は日本領」と主張しても、全く人々を納得はさせられない。実際には、1970年代以前の日本の多くの地図も釣魚島を日本領と明記していないのだ。日本が宝物を手に入れたかのように、こうした成立し得ない特殊事例をもって無闇な宣伝を繰り広げていることは、釣魚島およびその付属島嶼に対する主権の『法理上の根拠』を探すにおいて、すでに知恵を絞っても何も出てこなかったことを物語っている。