田中首相:「よし、これ以上話す必要はなくなった。またにしよう」
周総理:「またにしよう。今回われわれは解決できる大きな基本的問題、たとえば両国関係の正常化の問題を先に解決する。他の問題が大きくないのではないが、現在差し迫った問題は両国関係の正常化だ。いくつかの問題は時の推移を待って話そう」
田中首相:「ひとたび国交が正常化すれば、その他の問題は解決できると私は信じる」
田中首相と周総理が言及した解決を要する問題とは何か?当時の中日両国の指導者にとってこれは明らかだった。すなわち、1971年6月17日に米日が沖縄返還協定に調印し、琉球群島などの島嶼の施政権を日本に返還することを定めた際に、釣魚島およびその付属島嶼を勝手に「返還区域」に組み入れた。同年12月30日、中国外交部(外務省)は声明を発表し、米日による釣魚島などの島嶼のひそかな授受は完全に不法であり、釣魚島などの島嶼に対する中華人民共和国の領土主権を変えることはいささかもできないと強調した。この解決を要する問題はなんら曖昧模糊としたことではなく、釣魚島の主権帰属問題なのである。玄葉外相は対話の記録の全文を見ていないのか、それとも故意に自分に都合の良い部分だけを切り出したのか?
1978年10月にトウ小平副総理が中日平和友好条約の批准書交換のために訪日した。福田赳夫首相との会談後の記者会見でトウ副総理は釣魚島問題について「国交正常化時に双方はこの問題に触れないことを約束した。今回、中日平和友好条約の交渉でも、双方は触れないことを約束した。私たちは、話がまとまらないと考えている。避けることが比較的賢明で、このような問題は一時放って置いても構わない。われわれの世代の人間は知恵が足りず、この問題は話がまとまらない。次の世代はわれわれより賢くなり、皆が受け入れられる良い方法を見つけて、この問題を解決できるだろう」。これに対して、日本側からは誰も異議を申し立てなかった。
日本はわずか数十年前の権威ある史料すら改竄、否定し、紙に記録された明白な証拠すら勝手に書き直す。まさに何でもありではないか?