グローバル化の流れは、日本に対してもう一つの歴史的選択を強いている。しかし文化的な鎖国根性が日本エリートの思考を制限している。日本社会において、政界の分離・合流は「新しい瓶に古い酒を入れる」という政治的茶番劇に落ちぶれており、冷戦後の二度の政権交代は「黄粱の夢」に過ぎない。保守的な政治の他に、日本は日本の「変化」を導く新たな思考を打ち出しておらず、民主党の「change」は単なる政治スローガンだ。
2009年8月の政権交代は、五十五年体制の徹底的な崩壊を意味するものではなく、一種のモデルチェンジであった。民主党政権は「新自由主義」の旗を高々と掲げていたが、保守的な構造から脱却できなかった。このような保守的な思考がある限り、ポスト民主党の政権時代において、日本が「維新」の新たな局面を切り開き、再度歴史を創造することは不可能だ。
石原慎太郎氏の太陽の党、橋下徹氏の日本維新の会の合流は、政局を左右する「第三極」を形成し、民主・自民の2大政党による政権交代を打破し、日本の改革を実施することを目標とした。石原氏は、戦後から続く官僚(文官)主導の政治構造を根本から変え、政治家が国家を主宰する「大日本主義」を構築することを主張している。このような政治的雰囲気は、大久保利通が暗殺された後の明治時代に似ている。しかし「政治家主導」による「官僚主導」の打倒は、日本振興のための良薬ではなく、その歴史的結末は言わずと知れたことだ。
全球化的浪潮将日本推向另一次的历史抉择,但文化上的锁国根性制约日本菁英的思维,在单面向的日本社会下,政界的分分合合往往沦为新瓶装旧酒的政治闹剧,冷战后的二次政党轮替仅是“黄粱一梦”,在保守政治之外,日本仍无法建构引领日本“改变”的新思维,民主党的“change”只是选举口号。
因此,2009年8月的政党轮替亦非“五五年体制”的彻底崩坏,而是转型,民主党政权虽高扬“新自由主义”大旗,仍不脱保守格局。沿此思考,期待后民主党政权时代,日本开创“维新”新局,再造历史,应与现实相左。
虽然,石原慎太郎的太阳党与桥下彻的“日本维新会”合流,意图创造足以左右政局的“第三极”,力求打破民主、自民两大党轮替,共谋改革日本大计。石原主张将战后以来官僚(文官)主导政治改弦更张,建立政治家主宰国家的“大日本主义”,此种政治氛围相似于大久保利通遇刺后的明治时期,但“政治家主导”压倒“官僚主导”非为日本振衰起敝之良方,其历史结局不辩自明。