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日本で自民党と連立して政権を握っている公明党の山口那津男代表が先日、訪中団とともに中国を訪れた際、盛んに報道された。安倍晋三の「スピーカー」にすぎないというものや、公明党は衆議院で議席が少なく、軽んじられている、大した党ではないという報道もあった。だが、知る人は少ないが、公明党は戦後日本の政党の中で一貫して中国に対して友好を貫き、戦後中日関係がたびたび大きな局面に差しかかった時には必ず公明党の影があったのである。
党名は中国古代の著名人に由来
日本公明党は1964年11月17日に設立された。母体は池田大作氏会長の日本の宗教団体である創価学会だ。党名を考えるにあたり、池田氏は自分が尊敬する中国史の三国時代の諸葛孔明を思い、「孔明」と同じ発音であることから「公明」を提案したという。また、別の説として池田氏が好きな中国の古典小説「水滸伝」に出てくる宋公明(宋江)が智慧のある人物で、自分の政党が「智慧の党」になるようにと願って「公明党」と名づけたともいわれている。
自ら公明党を設立したが、池田氏本人は公明党の中枢に入ったことはない。彼は公明党の責任者に「日本にとって、中国は文化の大恩ある国だ。我々は中国に恩返ししていかなければならない。公明党に多くの要望はないが、唯一、公明党にはこれからも中国大陸と友好的な政策をとり続けてほしい。」といったという。
1968年9月8日、池田大作氏は、1万人の学生を前に有名な「日中国交正常化提言」を行った。自民党の米国追随の外交政策を批判し、「日本も独立国である以上、 独自の信念をもち、自主的な外交政策を進めていくのは当然の権利であります。」と叫び、「日本政府は北京の政府と話し合うべき」「中国の国連復帰を積極的に推進すべき」と提言した。
この「池田提言」から4カ月後、公明党党大会は「公明党の外交、安全保障政策」を示し、「日中国交正常化実現への方途」を発表した。
「竹入メモ」が中日国交回復の礎に