「竹入メモ」が中日国交回復の礎に
1971年、佐藤栄作がまだ日本の首相だった時、形勢は変わった。佐藤首相は中国政府との連絡を望み、国交回復に向けて動き出そうとしていたが、信頼されていないことから何度も中国から拒絶されていた。この年の6月末、公明党の竹入義勝委員長(当時)を代表とする訪中団が周恩来総理との接見に成功した。この会見で、周総理は公明党の「日中国交正常化実現への方途」の5つの声明をもとに「中日国交回復三原則」を提示した。周総理は「公明党の設立以来、我々はあなたたちの主張に注目してきた。中日関係の発展のために良い提案をしてくれたので、中国にお越しいただいたのです。どのようにして速やかに中日国交を回復するか、正しい意見をお持ちです。」と語り、7月2日、公明党代表団は中日友好協会代表団との共同声明に署名した。
1972年7月、竹入委員長は再度中国を訪問した。周総理から提示された草案を記したものを日本に持ち帰り、首相に新任していた田中角栄と外相だった大平正芳に渡した。これが有名な「竹入メモ」である。まさにこの「竹入メモ」が田中内閣の訪中を促し、この年の9月中日国交正常化に至る礎となったのである。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2013年3月15日