3月16日、アメリカで機密指定が解除され、公開された外交文書によると、日本政府は1958年に政府内部で「防御用」核兵器保有の実現可能性を検討し、更にはアメリカに報告していたことが明らかになった。国民の反対により、この計画は実現には至らなかった。
当時の駐日米国大使館の大使、ダグラス・マッカーサー2世、即ち連合国最高司令官として知られているダグラス・マッカーサーの甥はその年、国防省・国務院関係者らの会議において、現任の安倍晋三首相の祖父に当たる当時の日本の首相、岸信介氏が「日本国憲法は日本が如何なる種類の武器を保有することも禁止しておらず、核兵器を備蓄することは日本にとって、必要不可欠なことである」との考えを持っていると話していた。
マッカーサー2世は、日本が核兵器保有に向けた議論を展開することを歓迎し、1958年6月20日に当時の米国務長官、ジョン・フォスター・ダレス氏に宛てた電報で、日本の外務事務次官、山田久就氏が「外務省の安全保障政策関連の事務次官の間で、唯一日本を侵略する可能性のあるソ連が核兵器を保有していることを鑑みれば、日本が核兵器を含む近代的防御兵器を保有しないことを堅持するのは、『それほど意味がないこと』だとの見方が広がっている」と話していたことを明らかにしている。