奥井禮喜氏:独立を認識するという意味

奥井禮喜氏:独立を認識するという意味。 安倍氏は《1952.4.28》を「日本の独立をしっかり認識する節目の日で、経験と教訓を確かなものにする。」と言う。すべての戦争状態の終結と独立とは別物ではある。しかし、自分の為したことに始末がついていない日であり、片面講和、それも米国追従が本格化する節目であることを忘れたくない…

タグ: サンフランシスコ 安倍 日米安保条約

発信時間: 2013-03-21 11:07:12 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

ソ連がチェコに侵入した際、チェコ民衆の抵抗は「知的に憎悪せよ」(hate intelligently)という作戦だったそうだ。

検閲下、自由に主張できないなかでの抵抗の一つ、「信愛なるお友だち、私たちを助けに来てくれてありがとう。あなた方のお陰で資本主義の復活を目論む連中の黒い正体が暴露されました。」

これはチェコ共産党青年同盟機関紙ムラダ・フロントに、トラクトディティル工場で働く少女グループがソ連兵士に宛てた手紙であるとして掲載された。同工場は、どこにも存在しなかった。苦い笑いを呼ぶ。

「安倍さん、私たち国民の政治音痴・歴史音痴がいかに酷いものか教えてくれてありがとう。お陰で、独立の本当の意味がわかりました。」

サンフランシスコ(対日)講和条約と日米安保条約が締結されたのは1951年9月8日、発効が翌1952年4月28日。戦後の6年余にわたる占領が終わった。そこで今年、4月28日に主権回復記念式典を挙行するとか。

その日、頭上の雲が晴れ、一億国民は狂喜乱舞した----のではなかった。祝講和の提灯を吊るし、客を当て込み、シャンペンを大量に買い込んだバーもあったが、全然盛り上がらずさっぱり。外務省では全職員が広場に参集し、青空の下、冷酒とスルメで乾杯したそうだが、全国的に静かだった。

講和は米国を中心とする片面講和であった。戦後冷戦を主導した米国が対日占領政策を180度転換し、おりから勃発した朝鮮戦争を背景に、国際的反共体制に組み入れる戦略で進められた。

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