母の手により入学手続きが完了した。出発前夜、林さんも小秀さんも眠れなかった。深夜2時、複雑な気持ちの林さんは、娘のドアをノックした。小秀さんは、「夜が明けたらもう日本に戻れなくなるの?」と聞いたそうだ。林さんは記者に対して、「娘は北京留学を、死刑執行場に行くようなものだと考えていました」と語った。
特別クラスで一年間に渡り言葉を学び、HSK(中国語の検定試験)8級を取得し文化に関するカリキュラムを修了すると、小秀さんは北京大学の学生になった。妹の小麗さんもこれに続き、北京留学に送り出された。林さんは北京で2年間、二人の世話をした。
二人の娘は卒業し、日本に戻り一流の日本企業に就職した。林さんは当時を振り返り、自分は間違っていなかったと感じた。林さんは記者に、「妹の小麗は我慢強い子供です。姉と一緒に中国東北地区で、国語の教師の家に寝泊まりしていた時、粗末な住宅に暮らしていました。しかし彼女は、どのみちこの試練を乗り越えなければと思っていたので、私に何も言いませんでした」と語った。