社説は、占領下で、憲法がGHQ主導で制定されたことへの批判が封じられたことを指摘する。なるほど大日本帝国憲法に頑迷固陋な人々にとっては憤懣やるかたなしであったかもしれない。
しかし、第一に大日本帝国憲法は欽定憲法であって、お上がかたじけなくも臣民に下されたのであって、一部の権力者には好都合だったろうが、国民による憲法論議が尽くされて制定されたものではない。
まして、大日本帝国憲法と日本国憲法を比較してみて、大日本帝国憲法のほうが卓抜していると考えるような国民が多数ではない。敗戦・占領下における最大の功徳は、日本人が民主主義と平和主義の憲法を獲得したことだ。
さらに社説は、新憲法制定後に、石橋湛山蔵相らがGHQの意に沿わず公職追放されたと書く。多くの人が知っているように湛山氏は戦前戦中一貫して戦争反対を唱えた反戦の闘士である。
だから社説は暗にGHQが民主主義を与えつつ、それを破ったとし、民主主義も一皮むけばこんなものだと言いたいのかもしれない。しかし湛山氏の公職追放にはGHQを笠に着た国内勢力が絡んだ疑惑もある。
さらに、当初わが国の民主化を飛躍的に育てようとしたGHQが、トルーマン大統領下の反共包囲網政策で大きく変貌したのは事実である。しかし、それと憲法制定の事情とはまったく質が異なるのである。
もちろん、社説が指摘する、占領下検閲や、事件を起こした米兵の報道問題、広島・長崎の写真の非公開などは、誰もが怪しからんと思う。しかし、占領下で不測の騒動が起こるのを恐れたからだという見方もできる。