耳障りに聞こえる麻生発言 史実に太刀打ちできない

耳障りに聞こえる麻生発言 史実に太刀打ちできない。 日本の麻生太郎副総理はインド訪問時「日本は海上で中国と隣り合い、インドは陸上で中国と国境を接しているが、われわれは過去1500年以上の歴史において、中国との関係が極めてスムーズにいったことはない」と主張した…

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発信時間: 2013-05-17 15:09:52 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

日本の麻生太郎副総理はインド訪問時「日本は海上で中国と隣り合い、インドは陸上で中国と国境を接しているが、われわれは過去1500年以上の歴史において、中国との関係が極めてスムーズにいったことはない」と主張した。(文:劉江永・清華大学現代国際関係研究院副院長)

麻生氏のこの発言は耳障りに聞こえる。「中日関係が現在うまくいっていないからといって、大したことはない。1500年以上にわたりそんなに良好なことはなかったのだから。だからインドも中国に警戒すべきだ」というのが言外の意味だ。麻生氏の誤った発言は史実に反しており、全く成立しえない。

中国と日本は一衣帯水の隣人だ。中日両国人民の友好的交流は2000年以上綿々と続いており、世界の民族交流史上の奇跡と呼ぶことができる。秦・漢以降、稲作、桑栽培、養蚕、紡績、製錬などの生産技術が中国から日本へ相次いで伝えられ、日本は漢字、儒学、仏教、法令制度、芸術も吸収し、参考にした。中日両国人民の相互学習、相互参考、相互融合は各々の国の発展と進歩を促し、東アジアおよび世界の文明を豊かにした。中国で永眠した遣唐留学生の阿倍仲麻呂、日本に渡り帰国することのなかった鑑真和尚。友好の美談は現在にまで伝えられている。

1992年10月、日本の明仁天皇は訪中時「貴国と我が国の交流の歴史は古く、特に7世紀から9世紀にかけて行われた遣隋使、遣唐使の派遣を通じ、我が国の留学生は長年中国に滞在し、熱心に中国の文化を学びました。両国の交流は古い時代から長い間平和裡に続きました。我が国民は長年にわたり貴国の文化に対し深い敬意と親近感を抱いてきました」「しかしこの両国の関係の永きにわたる歴史において、我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります。戦争が終わった時、我が国民はこのような戦争を再び繰り返してはならないとの深い反省にたち、平和国家としての道を歩むことを固く決意して、国の再建に取り組みました」と表明した。

2000年余りの中日関係について、中国の文豪・郭沫若はかつて「歳月二千年の玉帛 春秋八十年の干戈」と記した。このように計算すると、中日両国は平和共存した期間がおよそ96%を占める。

西暦663年、日本は百済支援のため朝鮮半島に出兵し、白村江で唐・新羅連合軍に敗れた。その後約500年間の長きにわたり、日本と唐朝、宋朝は全体として友好的な交流を保った。だが元末・明初から日本の和冦が大挙して中国沿海地区で騒ぎを起こし始めた。中国は明朝初頭に釣魚島(日本名・尖閣諸島)を和冦を防ぎ止めるための海防範囲に組み入れた。中国の明朝万暦年間、すなわち西暦1592-1597年に、豊臣秀吉は2度にわたり朝鮮半島に出兵、侵入した。これは中国占領が目的だったが、中朝連合軍の反撃を受けて完全に失敗した。しかしその対外侵略・拡張思想は後に日本軍国主義によって引き継がれた。

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