初期のJリーグにおいては、多くの外国人選手がチームに迎えられ、外国の高レベルのサッカーが日本に入ってきた。2010年のFIFAワールドカップ南アフリカ大会では、日本代表メンバー23人のうち、4人が海外のクラブチームで活躍する選手だった。2011年のAFCアジアカップでは、その数は8人にまで増えた。10年弱という短期間で、日本サッカーの卓越した人材輩出、先進的な理念はアジアを飛び出し、世界へと進出した。
中国サッカーはその反面、終始元の場所でもがいていた。ここ数年の中国サッカーにおける腐敗撲滅やサッカー市場の景気回復を受け、中国のサッカーファンは再び希望を持ち初めていたものの、今回のタイとの試合が中国サッカーの前進を水の泡にした。中国代表のホセ・アントニオ・カマーチョ監督は当初は、中国の頼みの綱だったが、今では手に負えない厄介な問題となっており、指揮官として続けるにも、既に力はなく、解雇するにも莫大な違約金を支払わなければならず、中国サッカー協会は乗りかかった船から降りれない状態だ。
この最悪の結果を招いた根本的な要因は、秩序に従わなかったことにある。トップが変われば、これまでの理念も全て白紙になり、明確な発展戦略もないまま、サッカー人口は急激に減少している。若手選手育成の体制はあってないようなもので、外国人指導者を盲目的に信じ、功利的で成績ばかりを追求したサッカーになっている。今、中国サッカーの指導層がやらなければならないのは、青少年サッカーの育成を着実に推進することであり、国情に合わせたサッカーの発展戦略を打ちたてなければならない。さもなければ、中国サッカーが世界のレベルに追いつく夢はますます遠のくだろう。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2013年6月17日