また、日本での滞在期間が長ければ長いほど、皆少なからず日本社会に溶け込んでおり、日本に対する視点も個人的な恨みや好き嫌いだけでは語れないものになってくる。
筆者自身がとりわけ不快に感じるのは、日本人や日本を「小日本」と呼ぶことである。このような軽蔑を込めた呼称は安っぽい自己満足的な優越感を得られる以外に、どんなメリットがあると言うのだろうか。
筆者は中国の大手家電メーカー「ハイアール(Haier)」が如何にして世界進出を果たしたかに関する著書を日本で出版する予定である。日本の家電(テレビ・冷蔵庫・洗濯機・エアコン・炊飯器・電子レンジなど)は中国家電に負けており、サービスの質を含めた日本の工業製品の競争力低下は極めて顕著である。それは無視できない事実だ。
しかし、それだからと言って日本の実力を軽視しても良いというわけではなく、日本が世界2位の経済大国に上り詰めたのは決してまぐれで得られた成果ではない。日本人は危機感が非常に強い民族である。日本人の欠点ならいくつでも挙げ連ねることはできるが、彼らが権威や先進的な技術を無条件に崇拝し、先進国とその技術の長所を全力で学び吸収しようとする姿勢もまた、火を見るよりも明らかである。
その国と国民を十分に研究し理解したなら、その国を嫌ったり、憎んだり或いは愛したりするだけの十分な理由と権利を持つことができる。もちろん、真に深く理解できていないとしても、日本や日本人が「嫌い」と言うことは簡単だ。しかし、その段階で最終的な結論を出すのはまだ早いと筆者は感じる。もっと冷静で穏やかな心を持って日本と日本人をある程度観察してから、再び結論を出しても良いのではないだろうか。そうすれば、より説得力と洞察力に富んだ見方ができるだろう。
(文/莫邦富)
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2013年8月30日