韓国・中央日報は10月21日、「中米の競争、東南アジアが中国に歩み寄り」と題する記事を掲載した。内容は下記の通り。
東南アジア諸国にとって、米国と中国の同地域における影響力は、「米国は地政学的な影響力、中国は地理的位置の影響力」と言い表せる。米国は自国の戦略的需要に基づき、東南アジアの進出と撤退をいつでも自由に選択できるが、中国は同地域の勢力であり、望むと望まざるとに関わらず、長期的に共存していかなければならない。
中米の指導部と外交部門の人事は、2013年に全面的な交代を迎えた。これは中米関係に変化をもたらし、特に両国が東南アジアで形成していた競争と対立の構造には、変化の兆しが見え始めた。具体的に言えば、米国の戦略は「平和的な無視」に変わり、中国の戦略はより「温厚」になった。
まずは米国を見ていこう。2010年に開かれたASEAN外交フォーラムで、ヒラリー・クリントン国務長官(当時)は中国と真っ向から対立し、ベトナムやフィリピンなどと組み中国を攻撃した。ヒラリー氏は国務長官就任から1ヶ月でインドネシアを訪問し、在任期間に東南アジア諸国を毎年平均3−5回訪問し、「中国脅威論」を喧伝し、米国が存在する価値を示した。ヒラリー氏とは異なり、現在のケリー国務長官の就任後初の東南アジア訪問は、7月にブルネイで開かれたASEAN地域フォーラムで、それまで中東を4−5回訪問していたこととは対照的だった。ケリー国務長官のブルネイの旅は、米国が東南アジアにそれほど注目していないという印象を残した。
次に中国を見ていこう。中国と東南アジア諸国の交流は、これまで経済および地域内の多角的協力が中心であった。また経済分野ではウィンウィンの成果を獲得し、東南アジアで「中国チャンス論」が流行した。しかし一部の国は近年、中国の高圧的な外交を批判し、その不満にあふれたムードは2012年7月に開かれたASEAN外相会議まで続いた。同会議では、親中派と反中派の二つの勢力に分かれた。これを契機に、中国の東南アジア政策に変化が生じ始めた。王毅外交部長は就任後の5ヶ月内に東南アジアを3回訪問し、中国―ASEAN外相会議を2回開き、ベトナムの国家主席を中国に招待した。
東南アジアは北東アジア・西アジア、太平洋・インド洋、インド・中国を結ぶ地域の要衝であるため、中米の「競争と対立」の駆け引きが展開される「戦場」になりやすい。しかし昨年11月の東アジアサミットより、この構造に緩みが生じた。オバマ大統領は「アジア重視」を強調しながらも、最も激しい係争に陥っている領土問題については関係国に冷静な対応を求めるだけで、「開戦をいとわない」フィリピンや日本などを落胆させた。中米の首脳は今年6月にカリフォルニア州で開かれた首脳会談で、「新型大国関係」の共通認識に至った。東南アジア諸国は米国との「安保協力」の限界を理解しており、中国との「経済協力」を弱めていない。中米の役割の変化は、さまざまなことを意味している。最も重要な事は、かつての二つの大国による「政治的駆け引き」の構造が、多国間の「経済的駆け引き」の構造に変化していることだ。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2013年10月23日