如何にして後継者を育成するか、これは日中友好七団体共通の課題だ。数百回と訪中し、毛沢東氏や周恩来氏、廖承志氏といった中国の指導者とも会ってきた七団体トップクラスのある人物が、10年以上前に、「後継者を育てなければならない」と筆者に語っていた。しかし、この人物を良く知る日本のある記者は、「この方の後継者になれる人などいない。この方は団体の創設者であり、会員のほとんどがこの方を尊敬して入会したが、この方ほどの威信や人望のある人はいない」と話した。
これまでの3、40年の間に、日中国交正常化運動の最前線で活躍した人望ある多くの先人が相次いで逝去した。今日の日本の友好団体において、60年代や70年代当時のカリスマ的な人物はもはや伝説、と嘆く人までいる。昨年の11月25日、日中文化交流協会の辻井喬元会長が逝去した。享年86歳であった。辻井会長の逝去は七団体がまたも代表的人物を失ったことを意味した。辻井会長は影響力のある人物で、百貨店、鉄道などの企業を傘下にもつセゾングループの創設者でもあり、中国と中国文化を愛する辻井会長は日本の著名な作家であり、詩人でもあった。
秋岡家栄氏は「今の日中友好団体は人材に欠ける」と嘆いている。秋岡氏は1925年生まれで、1967年から1972年にかけて「朝日新聞」の駐中国特派員と務め、かつて数十回と周恩来氏に会っている。周恩来氏は公の場では「秋岡先生」と呼んでいたが、単独で秋岡氏に会うときは「秋岡同志」と呼んだ。90年代、秋岡氏の招集の下、「日中友好99人委員会」が設立された。同会は独立した友好団体で、筆者は何度も同会の会議に参加した。大学生からすでに退職した年配者を含む各界人士が会員となっていた。
秋岡氏は、「日中国交回復運動時は、日本の各団体が一致団結し、統一戦線を組んでいたが、国交正常後は、日中関係の舞台は政治から経済へと移り変わり、人々はお金稼ぎばかりを考えるようになった」と振り返った。秋岡氏は友好活動はお金稼ぎであってはならないと主張しているのだ。秋岡氏は、現在日中関係は膠着状態にあるが、日中友好団体はこの局面を打開する力を備えていないと嘆く。「国交正常化後、日中友好団体は意識を政治分野に向けておらず、後継者の育成に力を入れてこなかった。日中関係に問題が生じた今、七団体は日中首脳会談、首相の靖国神社参拝の中止を呼びかけることぐらいがやっとで、より広い視野とより深い議題に欠ける」と指摘。それは人材不足により、友好団体の日中関係の研究に対する深さに影響を与えているため、必然的に世論を導くこともできないと語る。
確かに、七団体の活動で若い参加者を見ることは少ない。七団体のある事務員は、「若者は我々の活動に興味がなく、参加したがらない」と話していた。日中友好団体の高齢化は非常に現実的な問題なのだ。活動の中である会員が、日中友好団体は普遍的に「宣伝不足」で、「活力のある人材に欠ける」と話していた。新規会員を引き付けるための組織改革は当面の急務のようだ。
伊藤忠商事元中国総代表の藤野文晤氏は、当時多くの人が日中友好団体に参加するのは、彼らが戦争を反省しているからであり、そこには罪滅ぼしの意識がある。しかし、次の世代の人々はそうした意識に欠けると語る。藤野氏は、70年代、多くの日本人が日中関係に危機感を抱いていたが、今の日本の若者は生きることだけに奔走している。何か事業をやりたいとなれば、NPO(非営利組織)といった形式を選び、友好団体に参加するとは限らない、と語った。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2014年3月28日