共同通信の報道によると、日本の捕鯨活動が「国際捕鯨取締条約」に違反するとしてオーストラリアが日本に捕鯨停止を訴えた裁判で、オランダのハーグにある国際司法裁判所は先月31日、日本の調査捕鯨は条約で認められている科学的な調査には該当しないとの判断を示し、このままの形で捕鯨の許可を与えることはできないとする判決を言い渡した。しかし、日本の敗訴は日本がすぐさま捕鯨活動を停止することを意味しておらず、鯨をめぐる争いにまだまだ終わりは見えない。
捕鯨は長い歴史を有する日本の伝統文化の一つとされ、商業目的の大規模な捕鯨活動は400年間行われてきた。第二次大戦後、鯨の肉は日本の食糧危機を緩和し、多くの命を救ってきたということもあり、日本人は鯨に特別な思いをもっている。伝統的な捕鯨法を今に伝える太地町では、捕鯨活動はすでに文化的象徴となっており、地元住民に深く根付いている。日本捕鯨協会も「捕鯨は日本の歴史と文化の一部分である」と明確に述べている。では、果たして捕鯨は文化を伝承するためだけの行為なのだろうか。その裏に経済的・政治的配慮が隠れているのは明白だ。
捕鯨産業チェーンは今日すでに日本の沿海地域の支柱産業の一つとなっており、捕鯨活動が一旦禁止されると、多くの会社が倒産し、大量の失業者を生み出し、地方の収益減を招くことは必至だ。これは日本が頑として捕鯨をやめない理由の一つであろう。
また、日本は「調査捕鯨」を名目に公海での行動範囲を拡大し続けているが、捕鯨を禁止されれば、これまで「ついでに」もたらされてきた公海での漁業活動の「利便性」が失われるという大きな痛手を負うことになり、この不足分を本国市場で補填するのは非常に困難になるという見方もある。
国際社会が日本の捕鯨活動を批判するのは今回が初めてではない。同じようなシナリオが繰り返されるのはその背後に政治や経済、文化といった要素が絡んでいるということ以外に、菅官房長官が言う国際条約の「隙間」も原因の一つである。「国際捕鯨取締条約」第8条では、調査研究目的の捕鯨行為を認めており、これが捕鯨国に調査捕鯨の量と種類を決めるチャンスを与えてしまい、日本が規制ぎりぎりの危険球を何度も投げ続けることに繋がっているのだ。
国際法廷は日本の南極海域での殺戮行為に圧力をかけたものの、捕鯨をやめさせるにはまだまだ長い時間がかかる。制限された漁業の発展モデル、東日本大震災後の漁民の分散漁業活動、汚染によって失われつつある太平洋沿岸の海洋資源といった現実的な問題は、いずれも日本が徹底的に捕鯨を放棄できない理由になっている。
米タイム紙は、国際法廷の判決結果は日本のすべての捕鯨活動を停止させるには至っていないと伝えた。日本政府がいうように、全面的に停止するには鯨への影響を示す観測データを集める必要があり、日本が活動内容を改めれば、捕鯨活動が再開できるようになるのだ。また、日本はこれまで度々国際捕鯨委員会(IWC)を脱退する可能性を示唆しており、もしそれが現実のものとなれば、委員会の決定は日本に何ら拘束力をもたないものとなってしまう。鯨をめぐる争いはまだまだ終わりが見えない。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2014年4月8日