米国から安全保障という収穫を得たばかりの安倍首相は、オバマ大統領が韓国を訪問したばかりで日本の弱みを握り、日本の第二次世界大戦中の「慰安婦」問題は深刻な人権侵害と批判するとは、思いもしなかったかもしれない。日本側はこれに敏感に反応し、本件を政治・外交問題に発展させるべきではないと称した。人民日報海外版の公式サイト「海外網」が伝えた。
オバマ大統領の今回の発言は、韓国の気持ちに配慮したものであったが、日本の第二次世界大戦の歴史観が、米国の東アジアにおける「友人グループ」を分裂させていると言わざるをえない。その場だけの社交辞令が、韓国の朴槿恵大統領の怒りを消せるだろうか。日本側の反応を耳にしたオバマ大統領自身も、自信を失ったかもしれない。
当然ながらそればかりではない。この荒唐無稽な歴史観は、現在の日本のさまざまな懸念される言行に対して、歴史の経験を提供している。日本が成功するためには、「正常な国」になるという夢を実現するためには、すでに失敗が証明されている振り返ることのできない古い道を再び歩むしかないように見える。現在は歴史の反省という谷間に苦しめられているが、これは一つのプロセスにすぎない。これに耐え切れば、最後にはすべてが過ぎ去るだろうというのだ。
しかし日本はこの苦しみに耐えようとせず、70数年前の侵略の罪をひっくり返そうと、さまざまな措置を講じるだろう。第二次世界大戦に日本軍が残したさまざまな「歴史的に敏感な言葉」について、日本は誹謗できるものは誹謗し、隠せるものは出来るだけ隠し、どうしても隠せないものは細かい点でケチを付け、一部の数字や出来事により全体を否定する。特に南京大虐殺の問題において、日本は中国が発表している犠牲者数を疑問視することで、この恐るべき歴史の罪を否定しようとしている。これは被害国をより憤らせる行為に他ならない。