夢半ばにして潰えた、日本のハワイ占領の野心(三)

夢半ばにして潰えた、日本のハワイ占領の野心(三)。

タグ: 第二次世界大戦 日本 ハワイ

発信時間: 2014-05-14 16:53:27 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

始まりと共に終わりを告げられた夢

日本陸軍は1942年5月23日、ハワイ占領を目標とすることを宣言し、部隊の動員と訓練を実施し、かつ約5万人を上陸部隊のため確保した。日本海軍も空前の規模を持つ部隊(すべての空母、ゼロ戦、攻撃機、爆撃機など760機以上の軍機)を集結し、ミッドウェー島に矛先を向けた。海軍はまたミッドウェー島の占領後、陸からの飛行中隊を追加し、潜水艦部隊を総動員し、ハワイ周辺海域を封鎖しようとした。日本海軍の将校は自信満々に「強い帝国海軍は、米軍の増援部隊をことごとく蹴散らすことだろう」と表明した。

皮肉なことに、日本陸軍・海軍がついにこの全財産をかけた「賭け」を決めた時に、ミッドウェー海戦(1942年6月4日)が勃発した。連合艦隊は惨敗し、4隻の空母と3割超の艦載機の乗組員が海底に沈められた。これにより山本五十六の「ハワイ占領計画」が、事実上崩壊することとなった。陸軍は6月8日、ハワイ上陸の訓練中の3個師団に秘密裏に命令を下し、作戦計画の無期限延長を告げた。

軍人と国民の間で「雪崩のような動揺」が生じるのを防ぐため、日本の軍部はミッドウェー海戦の結果を隠し通し、国民を欺いた。1943年末まで、日本国内の民間機関はハワイ占領の準備に熱を上げていた。国策研究会、南洋経済研究所、京都帝国大学(京大の前身)の学者らは、多くの研究報告書を作成していた。これらの報告書は日本のハワイ占領を前提としており、現地の農業・商業を再建し、現地住民の人心を籠絡し、ハワイを半自治領・直轄領とし、日本の「大東亜共栄圏」に組み入れるための献策を行っていた。

太平洋の戦争史を研究する米国人学者、ハワイ大学教授のジョン・スティーブンス氏(音訳)は著書の中で、日本から数千キロ離れたハワイの占領は、「戦時中の日本で最も狂気じみた計画」と称した。幸いにして、この野心的な計画は、始まりと共に終わりを告げられた。そうでなければ、太平洋戦争は長引き、より悲惨な結果となっていただろう。しかし日本国内には現在も、山本五十六の当時の「ハワイ占領計画」が実現していれば、日本の戦争には「曙光が見えていたかもしれない」と夢を抱く者がいる。(筆者:盧昊 中国社会科学院日本研究所の学者)

 

「中国網日本語版(チャイナネット)」2014年5月14日

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